Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2008年03月27日(木) 『Day Trip / Pat Metheny』




パットの新作。パットは今日もごきげんだ。
クリスチャン・マクブライド(ベース)、アントニオ・サンチェス(タイコ)とのギター・トリオ。

このところ、パット・メセニー・グループとしての『The Way Up』とそのライブDVD、メルドーとのコラボレーション、アントニオ・サンチェスの『マイグレーション』やブレッカーの遺作『聖地への旅』への参加といった活動を聴かせてくれていたメセニーである。

メセニーのギター・トリオといえばベースのラリー・グレナディアとの『Trio 99→00』『Trio→Live』(いずれも2000年)の成果を即座に連想する。おそらくグレナディアのエスコートによって、メセニーはそれまでになく弾きまくったし、そのことによって、おそらく予期できなかった楽想的な展開を手に入れているらしいし、しかもいずれもライブ感覚でもって聴く者は文字通り音楽の創造現場に連れて行かれた。わたしはこれらをメセニーのジャム化回春謳歌熱盤などと言いつけるが、メセニーの(ある意味)弾くだけの衝動は、自己のグループのトータル・ミュージックとしての構築、各種のコラボレーション事業(オーネット、ライヒ、ホール、ベイリー、メルドー、ブレッカーとかみんなこれ)、との相関において三位一体であることは明白で、相関を読み解く予兆としてこのギター・トリオの新作を聴くことにもなる。

ファンク気質に抑制を効かせてほとんど聴こえないかもしれないベースのマクブライド(ほとんどまともなソロはとらない=とれない)、と、手数がやたらと多過ぎて黙っていても加速してしまうタイコのサンチェス。この二人を従えられるギターは、微細にこのサウンドを耳にすると、ほとんどローゼンウインケルかスコフィールド水準でなければ無理ではないかと思わされる。1曲目の軽やかに何てことないようにラインを弾くメセニーの速度、は、実は驚異的なテクニックによって支えられていることに思わず息をのむ。この1曲目は、その何気なさに反比例するように、メセニーがおのれがジャズの最前線にいることを凄みをきかせて主張しているような重く衝撃的なトラックにわたしは聴いた。

それだけで、この盤はいいのである。メセニーの三位一体を形成する布石は置かれたと認められるのである。今なら、ジム・ホールとデュオをしても勝てはしないものの何かは出せるかもしれない、と、叶わぬ夢想に遊ぶことも可能になった。トリオ99→00から進化し、軽やかに高みにあって弾くメセニー。2008年の春に、この曲をかけてお花見のドライブに行くこと。新作のかけがえのないリアルタイム感を、メセニーは届けている。明日への期待を響かせている。その反面、記憶にも記録にも残らない盤であることもうっすらと理解できるところがはかない。それはヒットチューンとなるような楽曲がないせいでもある。カトリーナ台風に寄せたトラックのとりとめのないゆったりとした旋律もよそよそしい。

何度か聴くうちに、このジャケットのポップさが禍々しいものに映りはじめる。摩天楼の街角を歩く若いアメリカ人、内面は内ジャケにあるとおりペプシを飲み屋根の上のディレクター・チェアーに座って、トレーラートラック、アメリカ製の大型自家用車、牧場、牛の放牧、空にはジャンボジェット機を眺めて青い空の下。それはアメリカン・ドリーム。明らかに破れたものと認識される2008年のアメリカンドリーム。まだ、ウィチタをリリースした頃のメセニーが描いたアメリカンドリームには青春といったものが煌めいていただろう。CDのアートワークは演奏を語るわけがない?そうだろうか。マックでエビフィレオバーガーと三角チョコパイを買って花見ドライブに出かけるわたしのBGMに、この上ないオシャレを演出するこの盤が、現在のアメリカの禍々しさを映しているとするならば、これはメセニーの現代的な批評行為だと考えてもいいのではないだろうか。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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