Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2008年03月22日(土) |
小沼純一が書いたコリン・マクフィー本 |
なんだっけな・・・。あ、長女のはたちの誕生日を祝うデートなんだけど・・・。みごとにフラれた・・・。うえええん。サントリーホールへオーケストラアンサンブル金沢をひとりで聴きに行くのだ。帰りに亀戸の山本でもんじゃ焼きでも食べてくるのだ。
エクスワイフより、高橋悠治のCD『ぼくは12歳』■を持っているか?という質問メールがあった。もちろん持っているが、持っていると返信すると、「じゃ、くれ!」と速攻で返信されるはずなので、とまどっているのだ。あげることに異存はない、まったくない。ただ、部屋のどこにあるのかわからないのだ。
高橋悠治の76年ものゴルトベルク(当時「カツラを脱いだバッハ」と絶賛されていた)を友人から借りる。ピータ・ゼルキンのも持っているのだけど上記と同じ理由で借りる。コレット・マニー・・・じゃねえや、コリン・ウイルソン・・・でもないや、ええっと、コリン・マクフィーの『タブー・タブハン』、まるでジャレットの名作『セレスチャル・ホーク』の原型としか聴くことができない作品、を、聴いておののいている。
小沼純一が書いたコリン・マクフィー本■は、とても素晴らしいと音楽ファンの間ではもっぱらの評判だ。 小沼純一の音楽評論はわりとよく読むほうだけど、文体から感じる音楽を愛する姿勢にはいつも感動させられる。
ジャレットはJazz Tokyoのインタビューでコリン・マクフィーの参照を否定しているけど、偶然の創造の類似ということであれば、それはそれで素敵なことのように思える。
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