Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2007年10月13日(土) 高橋悠治の『solo』を聴く。



高橋悠治の『solo』を聴く。
彼のゴルトベルクを聴いた年にも感じたことだけど、生きているピアノの音というのは、こういうものだったと思わされる。ぼくのことばで言えば、譜面の歩き方、ということなんだけど。
モーツァルト、戸島美喜夫、高橋悠治、ガルッピ、ショパン。

モーツァルト、シェルシ、ペルト、ベルチ、ブゾーニを並べたヴェルナー・ベルチの1988年のECM作品を、ふと思う。
『W.A. Mozart/ G. Scelsi/ A. Pärt/F. Busoni/ W. Bärtschi / Werner Bärtschi』(ECM1377)



高橋悠治自身のライナー、これがものすごく聴く参考になる。

そして、そのライナーはこう結ばれている。

「こうして輪舞が一巡してみると、これらのヨーロッパ音楽は、じつは東方と境を接していて、響の彼方に、サラセン文化であれ、ペルシャの細密画であれ、見えない東方が影を落としているのを感じる。あるいは、古典の地位に押し上げられたこれらの音楽は、じつは周辺から生まれたものだったかもしれない。」

ヨーロッパ、東方を経由して、日本、という響きのラインを想像してみる。まだ、聴こえないけど。



高橋悠治の即興的なトラックを収めたCDがついている絵本『けろけろころろ』。高橋悠治はジャズを絶対的に避けて歩んでいるのだ。歩んできたのだ。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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