Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2006年09月09日(土)

お。今日はキーボードが打てる。

こないだ、深夜に近所でねこをひいた。どけると思って進んだら後部右車輪がガコという。あたまがつぶれたのに、からだがネズミを張る姿勢のままに高速に波打っていた。これはすごいみものだった。
翌日の午後には小石川ではとをひいた。これもどけないのだ。カシャといい、つぶれたかたまりになった。

むかし山手線で女子高生がふらついてホームに落下しバコというすさまじい音がした。

こういうことは書くものではない。

葬儀屋に勤務しいろんな葬儀に立ち会ったことがある。
音楽の立ち入るすきのない時空だった。
儀式の一連の時間は無音であり、その無音は死者と生者がともにどこかとつながっている回路になっている。
会食をする二階のたたみを僧侶が歩む音も、火葬して熱い骨をひろう箸がたてる音も、棺に花を埋めてゆく指のこすれる音も。

ジョン・ケージが世の中の不幸や苦しみの量は適切な量であると禅特有のクールな切捨て発言をしたエピソードからはじまる
アダム・フィリップス著『ダーウィンのミミズ、フロイトの悪夢』(みすず書房)8月24日発行
を読みはじめる。

いただいた編集CDR5枚、未聴CD14枚。このところ長時間勤務でおろおろするばかりで、なかなか音楽を集中してがっちりと聴けていません。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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