Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2006年07月08日(土) |
ボブ・ディランの「アイドンビリーブュー・・・」「ユアーライアー」 |
師匠からの編集CDR『風待ちジェット』■を聴く。 CDRの1・2曲目の走り出しはことさら重要なのだけど、さすがの選曲構成に耳がとろけそうになる。
ボブ・ディランの「アイドンビリーブュー・・・」「ユアーライアー」と発音する、このちからの入れ方、タイミングが見せる心情。 たしかに、なるほどこれはパンキッシュなのだ。知ると、がぜん“聴こえ”が変わってくる。
今日もまた耳にかかりまくるミスチル「箒星」の旋律はすごいと思う。 桜井くんだけの旋律三連結構造つうか、フツーの曲のサビ部分を3つくらい数珠つなぎにしてしまう、「気持ちいい」の二転三転ポップザウルス横綱相撲。
つきあってる彼女から、子どもの頃の写真を見せてもらうことほど、人生のスケールが武蔵小金井駅から日本アルプスまで見渡せてしまうような気持ちになることはない。「山河あり」と、口をつく。
すると富田勲が作曲した「新日本紀行」のテーマが聴こえてくるのだ。(わはは、おれも意味わからん)
遠くに下降するフルートの音色と旋律に、「日本」を感じる。「日本」は「新日本紀行」の映像の総体と措定される。 リズムは木でできた樽をたたいている音で、日本のお祭りを象徴している作用だ。
下降するフルートのよるべなさ、西洋音楽の伝統にからみとられない・仲間にしてもらえていない・外部としての、 は、武満徹のオーケストラ作品で彩られているフルートのよるべなさ、に、容易にリンクする。
ぼくはそういう耳を持ってしまった世代、だ。
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