Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2006年05月16日(火) |
ミスチルがライブで「抱きしめたい」以外の『Kind of Love』収録曲をやらないのには |
ひとりぐらしをする長女に荷物を届けて「じゃ、ね」と手をふったあとに見上げた風景。 ケータイの写真なのに。言語化できない情感というか感覚が映ってしまう写真という媒体は恐ろしいものなり。
「その瞬間」というのは、ミスチルが『Kind of Love』で歌っていた「虹の彼方へ」や「車の中でかくれてキスをしよう」や「星になれたら」や「いつの日にか二人で」に、通底している意識の瑞々しさ、情緒の持ちようのきらめき、つまりそれはその時期以降は二度と持ち得ないところのもので、 そう、いまの長女には、いまこの瞬間にしか出会えない。この宇宙の中で。
「遠くまで旅する恋人にあふれる幸せを祈るよ 僕らの住むこの世界では太陽がいつものぼり 喜びと悲しみが時に訪れる 遠くから届く宇宙の光 街中でつづいてく暮らし ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり 誰もみな手をふってはしばし別れる」 from ぼくらが旅に出る理由/小沢健二
師匠!はい、わたしもそのように精進して過ごしております■
それにNokkoの声には、特別な周波数が含まれていると思うのです。 80年代の松田聖子、hitomi、小谷美紗子、SalyuそしてNokkoには相当なものを感じます。 意味ないことを書いております。
つまり、ミスチルがライブで「抱きしめたい」以外の『Kind of Love』収録曲をやらないのには、やはり、「その瞬間」を彼は大切にしていて、それはもう、倫理としか言いようのない、態度だと、もちろん、ファンとしてはライブで聴いてみたいけれども、今の桜井くんが歌うというのは、「その瞬間」に対して、これらの音楽に対して、もうしわけがたたないというか、そもそも表現が成り立たないとでも申しましょうか、
だからですね、来日したジャズ・ミュージシャンに、最新作ではなくて、20年も前のLPにサインを求めたりすることなど、そんなのファンの自慰行為であって、ですね、あなたの何年の何という作品は最高傑作で、その後低迷して、ブラジル音楽に活路を見出して現在の表現に到達しました、と、それって、誰に向けて言うのですか、と、そんなの自慰行為でしょう、ね、どんなことばでだれと、そしてミュージシャンと、そして放たれた音楽に、やはり、ぼくたちは、祈るような気持ちで。
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