Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2006年03月01日(水) |
聴くことができない音楽・脳内同時再生という味わいかたは日本人の口内調理という文化性を照らしている可能性はある |
月末は会議が続いて28日は新潟から出張してきた同僚を囲んで大江戸温泉物語に滞在。6回温泉につかる。 早朝の冷たい雨の中を露天風呂で、遠くに聞こえるラッシュアワーや交通渋滞のざわめき、に、湯気で咲いた小振りの桜が紅色で。 温泉の合い間に吉川潮著『江戸っ子だってねえ―浪曲師広沢虎造一代』新潮文庫■を読む。
ここ数日音楽を聴いていない。 すると、ドリカムの「うれしいたのしいだいすき」と、この曲のイントロを持つイージーリスニングの代表曲(タイトルわすれた)、と、バンマッコイ&ソウル・シンフォニー・オーケストラの「ハッスル!」とか、同時に脳内に鳴るような事態にうっとりとしてしまう。 こういう、聴くことができない音楽、を、ぼくは聴いているとも言えるのだが。
脳内同時再生という味わいかたは、日本人の口内調理という文化性を照らしている可能性はある。
記憶に残る音楽たちは、実際にその音楽を鳴らしてみても、そのように聴こえないのが現実だったりする。 あれだけ発売時にアナログで聴いていたフリートウッド・マックの『噂』にしても、CD化されて聴くときに「なつかしい」とは感動を偽装していた。 南沙織の「17才」なんて、オリジナルよりもぼくの記憶に残る「17才」のほうが数段素晴らしく、オリジナルにはそのかけらさえなかった。
プリテンダーズの「トーク・オブ・ザ・タウン」を聴きたい。三連打のドラムがアクセントをつける。人生が始まるような音楽。 1980年3月の高田馬場駅前から早稲田に向かう道をぼくはもういちど歩いてみたい。
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