Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2005年12月08日(木) |
英国のマーキュリー音楽賞 |
ウード奏者のアヌール・ブラヒムAnouar Brahem、バスクラとソプラノ奏者ジョン・サーマンJohn Surman、ベース奏者デイブ・ホランドDave Hollandが会して録音された『シマールThimar』(ECM1641)1997は、聴く者に忘れがたい痕跡を残すECM名盤のひとつである。ブラヒムの郷愁とサーマンの孤独、それを支えるホランドのジャズ、と、とりあえずは言ってみるけれども、その残余は大きい。ホランドのベースが支えるところのジャズという感覚の可能性は、通念的に思われているジャズをはみ出て(広義の)民族音楽をつなげる・共約する音の空間の所在を示している。
この『シマール』が英国のマーキュリー音楽賞にノミネートされていたという情報記憶があったので、92年から始まっているマーキュリー音楽賞というものはすごいなあと思っていた。いまチェックしてみたら、違うのね。>■ ECMでノミネートされていたのは98年ジョン・サーマンの『Proverbs & Songs』。これはサーマンの代表作でも本質を示した作品でもない。サーマン個人の精神的な帰依を宗教歌に反映させた作品である。 マーキュリー音楽賞について>■■
アウトゼア誌を手伝っていたころにマーキュリー音楽賞をこえるスタンスの賞を作りたいと思っていて、いろいろ考えてみて執筆者の年間トップを無条件にノミネートする、選考基準は個々の執筆者に委ねられており、その基準についてはレビュ文に反映されたところを読み知る(基準を明示しない自由もある)、したがって執筆者の人選だけが賞の性質を規定している、という、それなりに理想的なものを構想したのだった。
Jazz Tokyoの年間ベスト企画■は、思えばこの構想どおりである。 ・・・お。おいらが書いたテオ・マセロの『ブラック・ナイト』、・・・い、いかん、ディープパープルが耳に鳴ってきた・・・ストップ!ストップ! 「聴き手である私は、マセロの欲望や4人の演奏家を通じて、“ピアニストの不在”を中心として意識が旋回し始める。」そう、そんな音楽だった。この作品を選出したまーくんえらい、いいこいいこと自分をほめてあげたい。テオ・マセロをわかることのできるしあわせ。
音楽を聴くことは恋に似ている。
音楽サイトmusicircusの構築においても、マーキュリー音楽賞のようなことをしたいと思っている。音楽へのラブレターを書きたいのである。 I would like to praise wholeheartedly the songs of such brave love on this web site. ■ しかしながらこのロヴァ耳日記@練馬平和台しか書いていないのはどういうわけですか。 えー。いや、この、まあ。デヴィッド・シルヴィアンはグローバリゼーションに加担する、を書いて、から。仕事の合間にしか音楽を聴けない環境になってしまい。musicircus award賞へ至るには、時間と財力と知識と教養が必要なのだ。いかん。どれも足りない。なんとかしないと。
音楽はどのように存在し始めたか、は、 よくわからないけれども。 なぜ歌うのか、という問いには、 イチゴ摘みの作業中に歌わせておけば イチゴを盗み食いされないですむ、 というリクツに 説得力を感じる。 教育とは治安である、というリクツを 直感的に感じてきたわたしである。 アートを作れるという人間だけのちからは、 アートに魅了されるちからこそが愚行の源泉であったことでもあり、 と、バタイユの『エロティシズム』に掲載された 清朝の刻み刑を受ける女性の アヘンによる薄ら笑い、が脳裏をよぎる。
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