Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2005年11月18日(金) |
ECMが菊池雅章に長期コミットメント |
こ、これは大ニュースである。 「ECMが菊池雅章に長期コミットメント」>■ NY在住のピアニスト菊地雅章に対するECMの長期コミットメントが成立した。今後、菊地はマンフレイト・アイヒャーをプロデューサーとしてさまざまなプロジェクトを展開していく予定だが、ECMからのデヴュ−作は菊地が自宅ロフトで制作してきたピアノ・ソロ「at home project」で、来春にも発売される。なお、菊地は、来月帰国、KOプロジェクトのパートナ―、サックスのグレッグ・オズビーと『Beyond All』ツアーを行う。
このところのECM新譜でエンリコ・ラヴァの『Tati』やボボステンソン・トリオの『グッバイ』がやたらにいい要因は、タイコがポール・モチアンであることと、いずれもニューヨークのアヴァタースタジオでの録音であったことである。 わしは「アイヒャーECMはふたたびニューヨークに触手を伸ばしはじめたな、これは何かの予感か・・・」と鑑賞しておったものじゃが。 80年前後にECMはニューヨークのジャズに手を伸ばそうとしていた。デヴィッド・バーンやジョン・ハッセル、ルーリードのバックバンドとつながるエブリマンバンドなどロックの方向にも。そして、これらの新しい方向性を担ったECMのニューヨークスタッフはECMに造反しノンサッチレーベルを興したのであった。そしてアイヒャーECMは84年に、アルヴォ・ペルト『タブラ・ラサ』でクラシックマーケットに特化したECMニューシリーズを発足させる。ECMニューシリーズのその後の成功は周知のとおりである。
ECMのハウスドラマーとして復帰しつつあるように見えるポール・モチアンであるが、ポール・モチアンはWinter & Winterレーベルと専属契約しているように認知していたが、このところの同レーベルの精彩のなさを鑑みると、ポール・モチアンの自己のバンドは次作はECMから・・・
97年ごろだったか、当時わたしは群馬県太田市で無職生活をしていたのであるが、館林市「西の洞」で菊地雅章が4夜連続ピアノソロライブを演った。昼間はずっと寝てばかりいて、毎晩「おいかあちゃん、プーさんのライブに行くから5せんえんくれ」と通い続けたわたしもどうかと思うが。「プーがプーを聴きにゆくのかい?、いい身分だねえ、はいはい」と4夜連続5せんえん支給に応じたエクスワイフも今かんがえるとえらいな。
ライブの前にプーさんと話したのだった。 「こないだ出たファーストミーティング、すごいですね」「ああ、あれはすごいよね、よくとれてたよね」「あんな演奏、キセキですよ」「マイルスだってすごいことできたのはあの率だからな!」と嬉しそうな笑顔で応じてくれた。 「ECMに録音とかしないんですか?」「むかしオッファーはあったけどねー」
わたしの推測では、アイヒャーは菊地に対してオスロのスタジオで録音することをオファーしたのだと思う。さらに飛行機代は自前で来い、ぐらいの条件を出したのではないかとも思う。
アイヒャーはポールモチアンの価値を強く見出し、モチアンの強力なプーさんへの説得があったり、今年オズビーとプーさんのKOプロジェクトを実現させた55Recordsのオーナーの見識もあり、こういう事態へと進展したのではないだろうか。プーさんならアイヒャーに対して「ジャレットにモチアンとやらせてみろや」ぐらいのことを言ってくれることだろう。ジャレットファンにとっても朗報である。
宮崎駿もプーさんを主人公にしたアニメを作るべきだ。見た目はすでにおじいちゃん。でも、そのピアノには獰猛で繊細な少年の心が宿っている。ジャレットもメルドーもそこから先には道はない。プーさんのピアノに全世界が驚愕する。はげた妖怪アファナシエフも希望をみいだす。ヘミング魔女も脇役で登場。ピアノの国の女王アルゲリッチがプーさんに微笑みかける。王国の執事は舘野泉。執事補佐が高橋悠治と渋谷毅。
ドキュメンタリータッチの美と感動の妖怪アニメ。ピアノの国の少年”プー”。
館林「西の洞」でのライブは温かい観客たちのオーラとプーさんのリラックスしたゆとりとシャイなサービスで、それはそれはえがたいものでありましたとさ。
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