Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2005年06月14日(火) |
『NU-TURN / Benoit Delbecq piano solo』 (SONGLINES)2003 |
・・・そいえばマルク・デュクレとジャンゴ・ベイツの新作をレビューしたいんだった。 ・・・並び賞されるべきブノワ・デルベック。2年前のソロCDレビューを発掘したので、いちお。あとでJazz Tokyoに入れてもらお。
『NU-TURN / Benoit Delbecq piano solo』 (SONGLINES)2003
ピアノ・ソロ、とクレジットされているが、プリペアド・ピアノも用いた複数のトラックによる録音で、即興的な演奏でありながら、複数のトラックを重ねることを念頭にした作曲行為が上位概念として意図されている演奏、と言うべきか。音に向かう孤高性において、の、ピアノ・ソロの呼称であろうか。 ここでブノワ・デルベックは、表層的なピアノ奏法の技法を使わない。逸脱さ、破天荒さ、展開のアイディアをまとめる手付き、思いつき、こけおどしの博覧をするようなところはまったく見せていない。“打楽器的なセンス”を静かに、執拗に追い詰めている。ミニマルな痙攣に全身を没入させている。そしておそらく本人も意識しなかったであろう、ラヴェル、ドビュッシー、サティ、プーランクなどのフランス近代作曲家的な響きがサウンドの背後に立ち現れているさまが、この作品の驚異だと思う。ラストの「Into White」(11:12)に至って、デルベックの演奏は意識が遠のくようであり、鬼気迫るようでもあり、その果てにはついに音楽が自律した存在となって演奏者とリスナーを呪縛してどこかへ連れてゆくような事態までに至っている。
フランスの鍵盤奏者ブノワ・デルベックは、93年代にノエル・アクショテ(ギター)、スティーブ・アルグエル(タイコ)とともにリサイクラーズを結成している。このバンドは『Rhymes』『Visit』といった破天荒な傑作をインディー・レーベルdeux Z(ドゥー・ゼット、JAZZの“ふたつのZ”の意)で発表し、当時のフランス・前衛ジャズ・シーンの活況を象徴する存在であった。破天荒さは主にギターのノエル・アクショテにもたらされ、デルベックはセンスと知性といったもの、アルグエルは逸脱を主に担っていたように思うが、98年にアクショテは脱退し自身のレーベルRectangleを運営する一方Winter&Winterレーベルに『Lust Corner』『Rien』といった作品を発表している。アクショテが抜けたあと、マルク・デュクレが加わってリサイクラーズのライブが行われたことがあったが、維持はされなかったようだ。やはりデュクレとは演奏の質量もしくは密度(格とはまた違う)と方向のバランスが取れなかったのだろう。 デルベックのピアノの資質は、ケージ、リゲティ、ナンカロウといった現代音楽にその出自があり、ピアノとプリペアド・ピアノ、そしてサンプラーによる表現を併用する、即興による“打楽器的なセンス”が身上だと言える。その彼が2000年にクインテットで発表した『Pursuit』は、ジャズのフォーマットで問うた傑作(たしかフランスの年間トップの賞を得ていた)であったが、この音楽を“ジャズ”にしていたのはひとりだけ世代が上のベーシスト、ジャン=ジャック・アベネルだった。このクインテットに次なるステージが想定できるものか、わたしは困難を予想している。 彼が安定的に維持できるユニットは、ほぼ感覚的に同じ資質を持つクラリネット奏者フランソワ・ウールとのデュオである。センスの相性がよく、『Nancali』(1997)『Dice Thrown』(2002)の2作を発表しているが、今後も瑞々しさを失わない即興デュオであり続けることは確実なように思う。 デルベックは平行して、サンプラーを用いた表現に比重を置く“Ambitronix”というユニットで若いリスナーにアピールし、また、2001年にはソロで『PianoBook』をリリースした。『PianoBook』は初ソロと言えるもので、彼のセンスがおもちゃ箱をひっくり返すように発揮されている秀作だ。
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