Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2005年06月07日(火) |
GOING UNDER GROUND「同じ月を見ていた」とミスチル「くるみ」の主人公、同一説。 |
手に入れた43型プラズマテレビ画面で見続けるのは・・・GOING UNDER GROUNDの「同じ月を見ていた」のPV。 またです。胸が詰まるです。わし、人間交差点好きだし。連城三紀彦『恋文』で号泣してたし。センチなやろーで悪かったナ。
3月5日の日記にこんなこと書いてた・・・■
ミスチル「くるみ」の主人公はひとりでごはんを食べながら、台所に映ってしまう家族団らんの記憶の風景に泣いてしまう。 一方、ゴーイング「同じ月を見ていた」のカップルが出会ってから結婚まで至る物語り。鉄道や高速道路をラッシュして映すシーンの効果的なこと!駆け抜ける青春、て、もんだ。“出会ってくれてありがとう”、うんうん。そんなレンアイ、人生に何度も起こらんよ。 で、な。 このカップルの行く末が「くるみ」の主人公であったりするところが、人生の深みよ。 「同じ月を見ていた」のPVが「くるみ」のPVに触発されて制作されたことは間違いない。わたしが断ずる。「同じ月を見ていた」がありていなハッピーエンドで閉じている未完成さ(凡庸さ)は、その「くるみ」との接続という先祖返り(痕跡のバトン渡し)をもって補完するしか成り立ちえない(救済されない)、のである。 わかるか。 おい、きいてんのか、かなみけいまこいいちろうきよね。 おとーちゃんとおかーちゃんだってそんな「同じ月を見ていた」頃があったんだべよ。 で、おまいら、生まれたんだべよ。 わかってんのか。
“引き返しちゃいけないよね 進もう 君のいない道の上へ”と「くるみ」では、まさに突如絶叫するかの心境で歌われるのである。 この感情の噴出。
にんげんはわがままのかぎりをつくしてしまうのである。
葬儀屋に勤めていた頃、斎場の煙突から上がる煙のひとつひとつにそういう人生があったことをぼくは想像していた。
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