Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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おかしいやと いわれてもいい ただきみのヌードを ちゃんとみる までは ぼくは しねない (ラズベリー)
草野マサムネは、「ラズベリー」で、恋におちる状態について“5円玉の穴のむこうから呼ぶ”何者かを指している。 何者かによってぼくはこういうふうに恋におちている、という世界観を呈示している。 スピッツがその全盛期の終焉を自覚したかのように歌われたシングル「楓・スピカ」で、“5円玉のむこうに何が見えたんだろう”と、この“何者か”は“わたし”であることを告白する。告白することで、草野マサムネはスピッツの全盛に訣別を定置させ得ている。
5円玉の穴を抜ける、というのは、身体を持たない魂がそこへ向かうこと、の意である。 恋というのは、身体ではなく魂のお話なのだという、祈りなのである。
Coccoが「強く儚い者たち」で、“トビウオのカーブをくぐって”と歌うのも等価である。 ラルクの「Pieces」も、その次元で歌われた楽曲であるところにわたしは惹かれる。
まあ、そんなことは、未熟もんのはかない空想。
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