Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2005年02月03日(木) |
湯浅譲二のオーケストラ作品を集めた日フィルのコンサート |
サントリーホールへ湯浅譲二のオーケストラ作品を集めた日フィルのコンサートに出かける。
湯浅譲二は日フィルの「湯浅さんが影響を受けた19Cから20C初頭あたりまでのクラシック作品を1曲演りたいのです」と依頼を受け、バッハの「パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582.」をリクエストした。この曲は、わたし的な感覚で言えばフルート、オーボエ、クラリネットの立ち現れようが聴きどころ、である。そしてそのことが湯浅譲二オーケストラ作品の聴取への補助線になる気がした。
湯浅譲二の作曲のワザ、トレードマークは、ヴァイオリン群の開放弦弓引き奏法、なのであろうか。表現の輪郭をおおう布地の役割を与えられているようである。この布地の表面を耳でなでる快楽が、ヴァイオリン群の生々しいざわめきをライブで聴けることが、価値である。そして、オーケストラ作品のフルート、オーボエ、クラリネットのパートに彼が意識的にもしくは無意識的に表現してしまう欲望もしくはドラマトゥルギーに、ぼくの耳は釘付けになる。このパートの出現はさして多くはない。そしてほぼ作品の後半に位置づけられている。また、ときにそれらは隠蔽されているのではないか。湯浅譲二がフルート、オーボエ、クラリネットのパートのスコアに取りかかる作曲の意識を想像する。
「ヴァイオリン群の開放弦弓引き奏法」は、わたしたちが幼少の頃から映画館やブラウン管で、恐怖映画や怪奇映画のシーンで耳になじんでいる。だから、ぶっちゃけ、映画のサントラを複雑に構成して演奏している、と、つい聴いてしまう。刷り込みというのはおそろしい。現代音楽の世俗化ここに極まれリ、モダンジャズを聴いて「大人っぽーい」としか反応しない女子高生みたいでごめんね。
2002年に作曲したという「内触覚的宇宙V―オーケストラのための」。フルート、オーボエ、クラリネットがさほど顕現しなかった、隠された、ことが、作曲家の苦悩を示すように思えた。焦燥といった肌触りを覚えた。
フルート、オーボエ、クラリネットという補助線、などとは門外漢が思っただけでありますゆえ、読み飛ばし推奨。 いやー、日本の現代音楽、これからマイブームかも。廉価盤でCDがぞくぞく出てるし。
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