Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2005年01月31日(月) |
なぜ西尾幹二さんのテキストにじっと手をみてしまうのか |
はい。なぜ西尾幹二さんのテキストにじっと手をみてしまうのか。この日記の内容の空洞について自覚する怖さに。
函館の港小学校1年生に転校してきた体育館の朝礼にはスキンヘッドの上級生がいました。 「七重の海の・・・」と校歌が響いていました。校庭にはたくさんのタイヤが埋められていて誰もいなくて静かに陽が射していました。 夏には兄弟が自転車で堤防から海に転落していなくなりました。 冬には吹雪で視界がなくなって線路で女の子が轢かれました。 むかし台風で洞爺丸という連絡船が沈没して多くの死体が流れ着いたことを先生は泣きながら話しました。 石川啄木というひとが「我泣き濡れて蟹と戯る」とか「じっと手をみる」と言ったことを習いました。
人生はそのようなものだと覚悟をした小学生時代でした。 ヤンガルバレクの『Path Prints』という作品を聴いたときに、やはりそのようなものだと懐かしく思い出しました。
マンフレットアイヒャーが明らかにESPレーベルを意識して自らのレーベルECMを始動させたときに、ノルウェーのヤンガルバレクに視ていたのは、アルバートアイラーでした。
昨年リリースされた『Holy Ghost』10CDボックスには、そのアルバートアイラーが誰も立っていないところで生きたことを鳴らしている。 アイラーは据わった目で笑いながら 「コルトレーンは父だ。ファラオを息子だ。そしてわたしはHoly Ghostだ。」
大学に入った夏休みに、青函連絡船が港を出てゆくその足元の波間にたくさんの霊が漂っているのを見ました。
キチンと考えられたしくみですか?はたちすぎの化粧の上手な女性がめんどくさそうに2まん1せんえんをレジに出します。そのつぎに汚れたジャンパーを着た初老の男性が432えんを大切そうにレジ皿にのせます。男性は射精とともに生命のつとめを終えます。女性は受精とともに生命のつとめが開始されます。エンド、アンド、スタート。これが生命体としての基底。そして社会化。文明化。オトコがハンデをもらうしくみでなければ、総体としてオトコもオンナも救われないのではないだろうか。オトコのほうといえば、父と子という物語りをもらわなければ生き延び辛かったりするのではないだろうか。
論理で整合的に構築されていることが価値が高いのではないような気がする。 信用するのにあまり理屈は要らなくて、たとえばハルカリ。 高野寛やbikkeが彼女たちをリスペクトしていて、谷川俊太郎は信用している誰かに誘われて、たくさんの信用の網の目で『音楽ノススメ』はできている。
彼女たちのあの緩やかなで軽やかでたくましくてずるくていとおしい四肢のダンス。
コルトレーンの葬儀でアイラーが吹いた「トゥルースイズマーチングイン」、その録音がこの『Holy Ghost』には収録されている。 真実といったものはただただ楽しそうに入場してくるようなものなんだよ。
さしずめハルカリの彼女らは「マーチン、マーチ。ターリラリラ。」と舞ってみせることも。可能なんだよ。
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