Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年11月21日(日) 高橋悠治前日

咳が止まらない。喉がいたい。明日の高橋悠治のピアノリサイタル、バッハのゴルトベルク変奏曲、行けるかどうか。

高橋悠治のゴルトベルクはCDで聴いたことがある。所有しているはずだが、ここ数年見あたらない。樹海のようなわたしの部屋である。
彼のゴルトベルクは、飄々としたタッチで、いかにも高橋悠治であった。惹かれる名演だとわたしは断ずる。
しかし、彼の弾くプリペアドピアノによるジョン・ケージは、ひどくつまらないものだった。耐えられないものだった。

そこにバッハの楽曲が持つちからが潜んでいると考えることもできるし、ケージのコンポジションの過酷さを類推することもできる。

さて、老境に至ったであろう高橋悠治によるゴルトベルクである。
枯れても淡々として、やはり飄々とした高橋悠治なのであろうか。
「やっぱ、高橋悠治じゃんかよー、変わってねーじゃん!」と、歓んで聴いてしまう結果になるのだろうか。
「おおー、こんなんなった高橋悠治かよー、わかんねーもんだなー、びっくらこいたじょー」と、驚いて聴いてしまう結果になるのだろうか。

どちらにしても、歓んで聴いてしまいそうだ。確実にえっちできるデートに出かける心境と言えるだろうか。言わしとけ。

ぎょろんとした目を半分あけて、スターウォーズのヨーダのような風貌でくびのあたりをぴょこんぴょこんさせて弾くだろうことは確実である。
ヨーダ・プレイズ・バッハ、として販売するほうが売れるぞ。
そうか、高橋悠治は現代音楽界のヨーダだったのか。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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