Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年08月19日(木) |
“「ファーストキスから戦争」までの「踏み越え」の一般理論を考えたらどうだろうと思うに至った。”(中井久夫) |
夏の夕刻。18時47分。乳児の爪のような三日月。
中井久夫さんの『徴候・記憶・外傷』を読む。「世界における索引と徴候」が第一章。 70歳の精神科医である中井さんはまえがきで “「ファーストキスから戦争」までの「踏み越え」の一般理論を考えたらどうだろうと思うに至った。” なんて書いている。
「踏み越え」
はからずも。ほとほとあきれるほど踏み越えに満ちた人生をわたしは歩んでしまってるけんれどんも。素晴らしい音楽は、すべからくこの「踏み越え」の瞬間を与えてくれているのではないだろうか。そのひとにとって「踏み越え」を意識できた音楽は、雑踏の騒音さえも音楽なのだ。あなたが語る不意なコトバがたあいがなくともぼくには音楽なのだ。
中井久夫、三善晃、ジョー・マネリ、ポール・モチアン、ミシェル・ドネダ、清水俊彦、あがた森魚、渋谷毅、ミシェル・ポルタル、三上寛、菅野邦彦、高田渡、岡林信康、・・・、これらのおっさんたちは何かを共演してる。
新生児のふくらんだおなか。保育園児の鼻のあたまのひっかき傷。一年生の笑い声。泥だらけの運動靴。壊れたテニスラケット。千葉大理学部の生物の過去問。アジカンのチケット。ミスチル911横浜国際競技場アリーナのチケット。春日町6丁目の街灯。
月の光にじゃまされて あのコのカケラは見つからない 「さよなら人類」たま
スタジオヴォイス誌を立ち読みしたら、音楽評論家の湯浅学さんが、トランペッターの田村夏樹を評していた。 こういうことをすっくと書けるところが湯浅さんのちからだと思う。読んでいて、なるほどー、と、気付かされた。みんな、読んでみ。 田村夏樹にいち早く反応していた、たとえば末次安里さん、とか、ミュージックマガジンのジャズ担のひと。
批評家の価値は、「徴候」から察知するアンテナにあると思う。
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