Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年04月26日(月) |
『Feel You / 菊地雅章』(1992)・午後の紅茶(松浦亜弥)・ユニヴァーサル・シンコペーション(1・30、2・2の続き) |
渋谷に出て。時間があったのにもかかわらず、タワーレコードに寄らなかった。
ジャズ喫茶で親方とまったりする。ばたばたとジミー・ライオンズ・ボックス5枚組(これがなかなかいいんだよー)をトーストしながら。 AECやらコルトレーン、ドルフィーなど、ぐいぐい攻めてくる選盤に挟まって、バグパイプ(!)ジャズとか、デイブ・ダグラスの『Stargazer』(近作群よりも断然イイ)とかが、かかる。 >『Stargazer』、見てみ、このメンツ、96年だよ、クリススピード、ジョシュア、ユリケイン、”ジェームスジナス”、ジョーイバロンとのまさにNYドリーム・セクステット、得難い隠れた名盤 >■>マサダ以外の演奏でもっともいい、と、思う。
音楽体験は不意だ。クリスチャン・フェネスに耳がいっているときに、コルトレーンやドルフィーはあほみてーなモンだし、『春の旅01』(ミシェル・ドネダ〜斎藤徹)を聴いたらほとんどのHEADZ系CDは児戯に過ぎない。フランク・ザッパの強さに耳が覆われたときには、エレクトロ・パンクの叙情モノは弱々しくて哀れにしか思えない。友部正人の歌を聴くと、ミスチル桜井でさえ一瞬かすむ(いわんや森山直太朗おや)、仮にそれぞれを受信アンテナと模せば、さまざまに受信し尽くしたいだけ、それ以上のことではないべよー。
あ、「午後の紅茶」、応募しなきゃ。 ■「午後の紅茶」サイト ”ポッポあやや” これの「ニューヨーク・バージョンに映っているベーシストがジェームス・ジナスである」、という説がある。たしかに、酷似している。 このジェームス・ジナス、小曽根真のトリオでいつもにこにこ活躍している、というのが一般的な認知なのだけど、 デイブ・ダグラスのほとんどのリーダー作を支えている隠れた実力派である。
彼のサイドメンとしての、ほんとーの代表作は、コレだ! > 『Feel You / 菊地雅章』(1992)■(グリグリ二重丸で自身アリ、不動の軸、鉄板!) しかも1曲目「Pain Killer I」のファンクな中の逸脱と美の破壊力はプーさん屈指の作品だ。こういうのを廃盤にしたまま。ありえなくない? この1枚だけしか残さなかったジェームス・ジナスとヴィクター・ジョーンズとのトリオ、プーさんもまた弾きたいだろうと思います。 ジナスくんよ、小曽根真のトリオにいてもジャズの軌道は1ミリもズレないから、きみからプーさんを口説いてみては?
▼ユニヴァーサル・シンコペーション(1・30、2・2の続き)
「ねえ、ただくん?こないだの『ユニヴァーサル・シンコペーション』なんだけど。 ヴィトウスのベースは、ちゃんと強弱について意識的だと思うの。たしかに、録音が別々に重ねられていることに、ジャズじゃない意識の疎通の無さを指摘するのはアリだけど、でもね、レコーディングってその成立以来からライブじゃない編集行為でもあったから、そこをあえてオミットしてヴィトウスは呈示しているのに、そこをただくんが得意がって突くのはちょっと。ね?」 「…ほい。つうか突いてた気もしないけど。単にヴィトウスの会社の名前じゃない、というネーミングにおける道義的責任は果たしている、と(笑)。 ■■」 「コリアとマクラフリンの意味のなさ、って、そこに救いがあるような気がするのよ。」 「いるだけ、を、聴いてみたかった、かも。」 「そうそう。迫真のインタープレイなんてできないんだから、もうおじいちゃんだし。」 「ははは。」 「けっこう、どうとでも聴ける名盤。」 「そこまで言いますかー。(…うーん、ところで“ポッポあやや”を着てくれるんだろうか…)」
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“それとも俺たちをお前たちのルールで縛り付けたいのかい?” いいセリフだ。
ううむ、今日の日記もバラけてて、いかんのー。短く書かねば。読むかたにメリハリの効いたお土産を!をモットーとします。 「こら、中村メイ子、いーかげんNHKラジオの声優から引退しろ!聴いててうざくてかなわん」と、一行で言い切れる日記になるとよいでしょう。
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