Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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わたしの子どもは遺伝的にアタマがでかいようである。
アタマがでかいというと“福助の足袋”の“福助”を連想する。
伝承的に“福助”というアイコンがどのような存在であるか、文化的かつ医学的に分析した研究した論文もあったかと記憶する。
パット・メセニーの『TRAVELS』を聴いていた頃、ぼくは家庭教師の仕事をしていて、休憩時間に『TRAVELS』をよくかけた。 「せんせー、このトラベル、ズ?って、どういう意味ですかー」 「トラベルズってなー、“複数形の旅”だよー」 「えー?福助の足袋ですかー?」。
わたしは“耳かき”されるのが異様に好きだ。 わたしに“耳かき”を要求される女性というのは、かなりのVIP待遇だと思ってよろしい。 耳かきをしてもらう、というのは、いつ何どきキリで刺されるかという甘美な恐怖を仮託できる、ということ。
1歳8ヶ月ぐらいの時期のアタマがでかい息子をだっこして、綿棒で耳のあなの入り口と耳のしわの内側をなで続けていると、息子はそのでかいアタマを前方へ脱力させて白目をむいてよだれをだらーっとたらしてかなり気持ちよさげに落ちる。 そのように耳かきに恍惚になれるというのは、あまりいないのではないのだろうか。
わたしのアタマのどこがでかいかというと、後頭部。 後頭部がでかい音楽友だち、と、アヴァンギャルド系のギタリストの嗜好について話し合っていたら 「わー、同じだわねー、わたしたち、後頭部が大きいのって、きっとほかのひとと違うところを演奏に聴いているのかもしれないわねー」
う〜ん、流離貴種の末裔であるわたしたちな、照れくさくても、なんかとっても嬉しい気持ちになったわし。 彼女に耳かきが好きかどうか聞いてみようか。でも、それってとっても勇気がいることかもしれない。 「耳かきして」というのはプロポーズの言葉に匹敵するのではないだろうか。
アタマのかたちと聴く音楽は関係ないか。それに、こういう思考ってとっても危険なのは言うまでもない。
アタマがでかくて獅子舞のようになって弾くギタリストの筆頭であるパット・メセニーの『TRAVELS』、「Straight On Red」というナンバーは、パーカッションが疾走しまくるもあれ模様の高速回転の上をメセニーのギターが八艘跳びで着地する。 えっちがしたくてこかんがうずうずなかなかはいんないーと間奏のリフがぴくぴくちんぴくしている。
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