Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年03月07日(日) |
『呪怨2』の予告編見ただけでひとりでうんこするのに深夜2時すぎに友だちにケータイしたのはわたしです |
『呪怨』 『呪怨2』
こえー。しぶほぼこえー!タイトル言うだけでこえー!単語登録するだけでこえー!わー、なんで単語登録してしまってんだー、こえー!
セットでDVDになっている。
でもねっ。ぼくは深夜午前2時46分のスーパーの金庫の上方にくるくる回る首を見たり、銀行のロビーに濡れて立つ男性を見たり、7人の霊体にまとわりつかれて運転している若者を見たり、自殺された若者のご遺体を安置した霊安所に走った悪寒とか、満員電車で死臭をはなつひとがわかったり、神社で神さまの光がわしにではなく子どもたちに射しているのを見たりしたけれども、この映画はちょっとオーバーな気がする。
金原ひとみ『蛇にピアス』、すげー作品。 でも、ちょっとオーバーな気がする。
だけども、指し示すことがらは、やはり、この映画ならびに小説にしか還元できない内容を保持している。
音楽について。人間の聴取における物理的なフォーカス能力の凄さについて示唆した発言をしたのは大友良英だった。 心理的フォーカス能力、というものもある。 たいして興味の無かった演奏家の音楽が、その演奏家のファンに会って、2・3言葉を交わしただけで、もしくは一緒に聴いていたりするだけで、その良さがわかってしまう、ということがある。 名盤という評判をきいて、「これは名盤なんだ」と思っただけで、その名盤である勘どころを感得してしまうことも、ある。 信頼する音楽評論家のセレクト、というだけで、そのように聴こえることも、ある。 「たださん、マッコイは無視していいですから、ヘインズだけを聴いてみてください」だけで、すげーマイフェイバリットシングスがリアルに輝いたりする。
聴くことに対しても、バークリー音楽院のようなメソッドを採用しているリスナーたちもいる。
綿矢りさ『蹴りたい背中』を、なかなか読み進めないでいる。 スカートの中をゆっくりめくってみているみたいな心境に襲われてしまうのである。 もったいないので、ゆっくりゆっくり読んでいるのである。 この作品に対する文芸批評だけは、ぼくは読まないと思う(笑)。
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