Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年02月10日(火) |
ECMのサイトが本日リニューアル・オスバルドプグリエーセ・斎藤充正・往来トリオ・ジャズルーツ五大異端説 |
ECMレーベルのサイト■が本日リニューアルされた。
サイトの上下がゴツンゴツンとする感覚、が、もたらす、前に向かって覗き込むような精神の姿勢、に、留意すること。
▼ 2002年のバンプ・オブ・チキン『jupiter』がぼくらの目の前を輝かせたように!
とくに意味なし。
▼ 洗濯にハマる。 冬の晴れた日の午前。 たまった洗濯ものを次々に干してゆく。
今日は、タンゴの巨星、オスバルド・プグリエーセの『ビエン・デ・アバホ』2枚組がBGM。 レコード会社がユニバーサルに統合して、プグリエーセ楽団のフィリップス社録音全期からのベスト・セレクションがリリースされる、のだ。
ぼくがタンゴを聴いた軌跡は、(軌跡だなんてエラそうでごめん) 黒猫のタンゴ、あがた森魚のバンドネオン時代、アメリガン・クラーヴェの『タンゴ・ゼロ・アワー/アストル・ピアソラ』、ディノ・サルーシのECM登場、高柳昌行の『エル・プルソ/ロコ高柳とロス・ポブレス』、といった順序。本格派タンゴ・リスナーからは邪道に思われるかも。
平成10年にピアニストの梯剛之(かけはしたけし)らとともに出光音楽賞を受賞した名著『アストル・ピアソラ・闘うタンゴ』(青土社)を執筆された斎藤充正さんに一度だけお会いしたことがある。こともあろうに、「はじめましてー。あのー、専門家におききしたいのですが、今流行っている「だんご3兄弟」をどう思われますか」ときく、わたし。 目をきょとんとさせた斉藤さんはちょっと間をおいて「こういうふうに年齢を越えて聴かれるヒット曲というのはとても得難いものですねー」と、にこやかにおっしゃられた。いいひとだー! ピアソラのCD、究極の厳選2枚といえば何を挙げますか?ときくと、2日後に『ニューヨークのアストル・ピアソラ』『タンゴ・ゼロ・アワー』と回答された。
ほんとだー!『ニューヨークのアストル・ピアソラ』
▼ プグリエーセのCDを求めたのは、ベーシストの斎藤徹さんがプグリエーセへのリスペクトを表明していたからだった。 恵比寿の中南米音楽で購入。
▼ 洗濯を干したあとは、小山彰太トリオの『一期一会』を聴く。 96年オフノートの作品。 サックス、竹内直。ベース、是安則克。タイコ、小山彰太。
日本人にしか叩けないような“間”と“オカズ”のあるタイコを小山は叩く。シャレているし、ユーモラスでいながら、カッコいい。 往来トリオでのジャズの沸点強度では味わえない「この日」の交流がある。
そうだ、
この小山彰太、そして上記のベーシスト斎藤徹、さらに日本最高のサックス奏者林栄一、が、組んだのが“往来トリオ”という。 このトリオには『往来』『櫻〜往来トリオライブ』という2枚のCDがある。
ネットで検索してみたら、『櫻〜往来トリオライブ』について、岡島豊樹さんがこういうテキストを書かれていた。 コピペしてみたので、ゆっくり味読してみてください。
「往来トリオを聴きながらジャズ・ルーツ五大異端説を思い出した」
前回のアルバム『往来』といい、このCDといい、とてつもなく感動した。声明とのセッションにゾクゾクし、エリントンやミンガスの著名な曲や「リア王復活のテーマ」「オンバム・ヒタム」では小さいとき馴染んだ子守唄か何かのような懐かしさがこみあげてくる。私は声明もエリントンの音楽も沖縄の音楽もブラジルの音楽も縁遠い能登のイナカで育った人間なのに。思えばこれは私の場合、斎藤徹氏の音楽を聴いているとき常に生じる反応なのだった。ソロで即興演奏するときでもタンゴを演奏するときでも韓国シャーマンとの共演でも箏のような邦楽器との共同作業でも欧米の最先鋭インプロヴァイザーとの共演でも。なんで? コントラバス奏者か風鈴売りの行商人か一見わからないようにいろいろ小道具をつけたり、妙な棒でギーギーこするのを初めて観たときはショックを受けたけど、そうやって出た音は自分でもいつ身につけたかも知れない色んな記憶を喚起してくれる不思議な音として病みつきになるまでにたいして時間はかからなかった。楽器というのは現在では常識となっている形状や奏法に落ち着くまでにけっこう変更の歴史があったそうだけど、するとその間に、破棄されたり封印されたりした弾き方や音があったんだろうなと想像する。斎藤氏はそういうのを解き放つのが得意なのではないかな、たいへんな音楽博士なんじゃないかなと想像してしまう。そういった洞察を曲の形にしたのが、斎藤氏の曲なのではないのかなと思う。往来トリオでは林栄一氏も小山彰太氏もいつにも増してのびのびと多彩な音の出し方をしているように聴こえるのは、そこらへんに理由があるのではないかと思ってしまう。セファルディのトラッドとジェリー・ロール・モートンとセロニアス・モンクと東欧トラッドとアフロ〜ヒスパニック系音楽を検分 / 再構成した音楽をやりつつサン・ラーのカヴァーにも興じるアメリカのアンソニー・コールマン氏、トルコのモーツァルトことタンブーリ・ジェミル・ベイの曲やルーマニアの舞踊曲やセルヴィア正教の詠唱曲をアレンジして演奏するベオグラード出身のボヤン・ズルフィカルパシチ氏他のようなゴキゲンなミュージシャンたちのジャズに感涙しているような人たちも往来トリオの音楽にはホロリとしているんじゃないかと思う。そんなのまでジャズと呼ぶ必要があるのかな? という人もいるかもしれないけど、私はジャズと呼びたい。むかし、ジャズのルーツの議論が盛んだった頃、インド音楽説、トルコ音楽説、ギリシャ音楽説、スペイン音楽説、さらに「ジャズはオデッサで生まれた」説なんてものまであったそうだし(みんな異端説にされてしまったそうだけど)、もともとそんな議論で賑わったような音楽なのだから。むかしから色んなジャズが演奏されていたからそんな議論も湧いて出たんじゃないのかな。今後もジャズはそんな音楽であって欲しい。いや、あり得るはずだと、往来トリオを聴いていると確信してしまう。(岡島豊樹)
■musicircus
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