Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年01月10日(土) |
江戸ポルカ・ポトラッチ(Potlatch仏の即興レーベル)・森山直太朗現象への危惧 |
ててと、てと、てと、しゃん。 「江戸ポルカ/一青窈」 こう来ましたかー。見事な満塁ホームラン、て感じで。「もらい泣き」では反応できなかったわたしですが、少しずつ好きかも。
▼ おととい「このポトラッチこそは現在進行形の即興レーベルだと思う。」 Potlatch と書きましたが、国内盤として流通しているようです。ネットでも買えるようです。 これはもう解説文付きですから、わたしはすべてを買いなおさなければなりません(家計との格闘としての即興を経てです)。 もしもあなたがトランステクノにもレディオヘッドにもシガー・ロスにも寿司屋でかかっているようなジャズや手の見えるようなパンクにも飽きてしまって、死ぬべか、なんて思ってしまうことがあるのなら、なおさらここにある音に遭遇すべきです。ナニ書いてんだかな。 どれを買うのか迷うひとには、この3枚はマストでしょう。 ミシェル・ドネダの『クレフの解剖学』、デレク・ベイリーとスティーヴ・レイシーのデュオ『アウトカム』、エヴァン・パーカーとキース・ロウのデュオ『ダーク・ラグス』。
■"Bishop Records" distribution
と、ぼくは 『rouge gris bruit / Sophie Agnel, Lionel Marchetti, Jerome Noetinger』を聴きながら ナオタロ問題について書いてしまいましょう。
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森山直太朗。
TV画面を観ながら「こら、ナオタロ!こら、ナオタロ!」と野次を飛ばしてばかりもいられない。 (「夕暮れの代弁者」というのならECMレーベルのポール・モチアンを聴きたまえ。) (「起き抜けの革命家」というのならレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンを聴きたまえ。)
2003年は森山直太朗の「さくら」とスマップの「世界でひとつだけの花」の年だった。
「さくら」の詞性に軍国主義を視るのはたやすいし、単純にいい曲として歌われていることにはわたしは腹たたない。
スマップの「世界でひとつだけの花」でこういう箇所がある。 「バケツの中、誇らしげに、シャンと胸をはっている」、なるほどね、わたしは合点した。 シャンとしたいのである。 (バケツに並ぶまでに間引かれて選ばれて過酷な競争を生き抜くという事象にも気付けよな) 「さくら」にも共通して漂っているのは、“シャンとしたい”という欲望である。
当然に、欲望であるからには、いち早く効率よく達成したい。 できれば何もしないで歌だけ歌って“シャンとしたい”、という。
森山直太朗は観衆に呼びかける、「さあ、ともに歌おう」。 なんだそれ。個室にこもってひとりで歌っているんなら、それもアリだと思うけどさ。
森山直太朗の新曲『太陽』をユニバーサルのサイトで聴いた。 なんで日の丸をバックにしてんの?あんたソニンの真似か?しかも、なってないし。 これだけ手垢にまみれた空虚な歌詞を歌えるのももはや才能である。 ジャケットを見て、愕然とする。 「さあ、ともに歌おう」と呼びかけられているそろって希望にみちた同じ顔をした若者たち。
それって、どっかの国と同じ光景。
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