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2004年01月21日(水) 僕カノ第3話。

昨日「もうちょっと冷たい剛を見ていたい」って書いたばかりなのに、もう改心しちゃって残念。
あれだけ家庭に無関心で、子供と接してこなかった徹朗が
ハーモニカ買ってから大変身しちゃうんだもんな〜。
もちろん変身過程(笑)ひとつひとつはうまく描けてると思うの。
・・・でもなんか違和感があるのはなんでだろう?
徹朗の変わり身の早さについていけてないのかなと思ったりしたけど
展開が早いのは仕方ないかな、ドラマだし。

考えた。
やっぱり先週感じた違和感が尾を引いてるんだと思う。
凛を愛せないと言う可奈子、ぐわっと心に迫ってくるシーンだったけれど
その後の徹朗が歩いているシーンのナレーションというかモノローグが・・・
・・・邪魔だった。

僕道の4話だったかな?
妊娠騒動の時に「僕は間違ってません!」と言って
職員室を出た秀雄がただひたすら歩くシーンがあったけど。
セリフは全くなくて、秀雄が歩くだけ。
早足だったのがカットが変わるごとにだんだん遅くなって、そして歩いて行く先にまっすぐな道がある。
リピートした時に確認した覚えがあるけど確か1分ぐらいただそれだけのシーンだったのよ。
でも歩く秀雄の速度、表情、見えたもの・・・から
たとえセリフがなくても秀雄がどんな思いでいたのかを感じ取れて
あれは出色の演出だったと思ってます。
僕道自体、セリフのない部分からいろんなこと考えさせられる作品だったけれど
スタッフも同じ、映像の作り方も似ているだけに
「歩く」という同じようなシーンに説明調モノローグをかぶせることに、激しく違和感を覚えたのでした。
「妻を責める資格はない」とか「俺は娘を愛していない」なんて心の声はいらない。
可奈子の涙と呆然と歩く徹朗を見ていれば、十分伝わってくるのに。

それと同じことを昨日も感じたの。
ベンチで笑い合うシーン、風船が飛んでいくシーン。
ピザの時の微妙な笑いが心からの笑顔になった瞬間。
大切なものを手放すことへの漠然とした抵抗感、
そして一切を引き受けることへのためらい。
そんな大事なシーンを「心が温まった」「悲しくなった」なんて
陳腐な言葉で表現してほしくなかったんだよね。
(もちろん「抵抗感」「ためらい」なんて並べられた私の言葉も陳腐だ)
ちょっとずつ心がほぐれていって、ためらいながら一歩を踏み出そうする緊張感は
一言では表せない複雑なものじゃないかな?
そしてその複雑な気持ちは見ている人には伝わるし、
見た人それぞれの言葉で受け取ればいいことだと思う。
娘を手放そうとしている現実を「悲しくなった」って押し付けられてしまった時に
「展開の早さを言葉で補おうとしてる」と感じてしまったのでした。
動物園で気持ちを決めたわけではなくて、いろんな気持ちの変化があったはずなのに
あそこで「悲しくなった」って言われちゃうと
「そうか、やっぱり悲しいから離れないんだ」って思っちゃうじゃない。
(ペンキ=心が温まる)→(風船=悲しい)→(だから一緒に暮らす)って
ものすごく短絡的な図式になってしまう。
あの言葉がなければ、
徹朗が飛んで行く風船と凛を重ね合わせてるんだな〜って思いながら
冷淡な父親が少しずつ心を通わせてきた娘とのシーンを自然と私たちも思い起こして
ただ単に悲しいだけじゃない徹朗の葛藤を感じ取れる。
見てる側のそういう作業って大事だと思うの。
そうすることで初めて「一緒に暮らさないか」がストンと胸に落ちるんじゃないかと思うんだけど。
役者さんの演技で十分伝わって、こちらも思いを膨らませている時には、
もう言葉はいらないと思うんですが。

去年ちょうど僕道をやってた頃、
たまたまつけていたテレビで橋田寿賀子のインタビューを見たの。(見てしまったというべきか^^;)
「橋田先生の長ゼリフは有名ですが」と言われた彼女は
「私は役者を信じてませんから。だからセリフで説明するんです。それで長くなるんです。」
というようなことを言い放ちました。
絶対この人のドラマは見ないな、と思いました。もちろん今までも見てなかったけど。
役者を信じてない脚本家が書くドラマって(驚)。
元々ドラマで「お隣の○○さん」とか「幼馴染みの△△ちゃん」って親子がしゃべってるのを見ると
「親子ならお隣も幼馴染みもわかってるでしょ、説明しやがって」と突っ込むタチで
説明セリフにはかなり敏感だったんですが
ちょうど僕道をやっている時だっただけに、橋田サンのその言葉にものすごく反発を感じてしまいました。
セリフに頼らないお芝居をしている剛を心から誇りに思うと同時に
それ以降、説明セリフにより敏感になってしまったのかもしれません。
だからちょっとした一言が邪魔に思えてしまうのかも。
言葉に頼ってるんじゃない?って思った瞬間にちょっと冷めてしまう。
演技で、魅せてくれればそれでいい。
高望みしてるのかな?ドラマだから限界があってしょうがないかな?
でもあの僕道スタッフだからこそ期待してしまう。
セリフのない中でひたひたと押し寄せてくる感動が忘れられないから。

来週の予告で徹朗の涙を見た途端、条件反射のように泣けてきたんだけれど
「この子が何よりもいとおしい」って聞いた時に
「それ言わないで・・・」って思ってしまった私はドラマの見方間違ってますかね。

ちなみに、ちょっとした違和感について書いただけでドラマ自体はすごく好きです。
読み返してみたらめちゃめちゃ理屈っぽくてワケわかんないかもしれないけど(汗)。
付け加えると、始まってから10分以上セリフのなかった「砂の器」、圧巻でしたブラボーでした。
私はセリフ関係なく心の中で話を膨らませて遊びたいタイプなのかもね。
妄想上等(^o^)v


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