日記...マママ

 

 

- 2013年06月28日(金)

カリオストロの城で銭形刑事が張り込み中にすすっているカップラーメンは、めっちゃおいしそうだ、ということを、自分もカップラーメンを食べながら思い出した。あれきっとカップヌードルだよね。麺の感じとか、なんかそんな感じ。

今月末で辞める子が数人いて、まあ仕方ない子もいるのだけどだいぶ減る。
母から引き継いだほうの教室では前々から辞めると決まっていた子がいたけれど、前から自分がやっていた教室でもここ数日で急に辞める子が増えた。ああ、もう本当に潮時だ、と思った。移転さえなければこんなことにはならなかったのかもしれないけれど、そもそも不法行為に乗っかって生活をするというのが間違っていたのだと今は思う。今こそ公明正大に「ここは自分の教室です」とわたしは宣言できる。この建物にはずっと憧れていた。こんなところで教室をやれればどんなに素敵だろう、と。夢がかなって、とてもうれしい。そして、もう満足したようにも思う。2か月やれた。それでいいのだと思う。8月末に結論を出します、と局長に伝えてある。夏の特別学習ならびにそこからの新規入会の人数を見て決めます、と。しかし、おそらく劇的に増えることはもうない。移転したての5月がそうだったから。地域からの関心はそこそこある様子だが、問い合わせは特に多くない。例年並みだ。

仕事の中身についてのそもそもの矛盾を書きだすと、とても長くなるうえに疲弊するだろうと思う。お金を稼ぐことと社会貢献との間に横たわる矛盾やジレンマに苦しめられるのはこの仕事に限ったことではないので、それはまあいい。基本的にそんなに仕事内容自体に嫌気は差していない。きついこともあるけれど、まあしばらくしたら忘れる。人間関係もおおむね満足だ。ただ自活できないというだけで。これが唯一にして最大の問題なわけですよ。母の教室を引き継ぐときにはだいぶ母にも骨を折ってもらったので義理立ててちゃんと話をしないといけないのかもしれない、と思ってこないだ話すと「お金ならなんとかなる」つまり「自分たちが援助してやる」つまり「今の仕事を続けて、このまま自分たちの近くに残れ」というオーラがびんびんすぎて教師びんびん物語かというぐらいだったので、もうそれ以上は話すのをやめた。そもそも骨も折ってもらったがその前には何倍もつらい思いを強いられてきており、そのおかげでうつ病にまでなったというのに、よくいけしゃあしゃあとそんなことが言えるもんだ。本当にいい気なもんだと思う。その後、実家からのこまごました連絡には「はい」か「いいえ」でしか答えないというドラクエの勇者状態になっている。さっきもメールが来たが無視した。

子どもたちのことを考えて感傷的になったりはする。幼児のころから来ている中学1年生の女の子のことをさっきまで考えていた。彼女が小学校に上がった4月、初めて大きなランドセルを背負って教室にやってきた姿を見たときの感動を、わたしはたぶん一生忘れないと思う。ああ、もうこの子も小学生なんだ、と、当たり前のことなんだけど、わたしはそのことにとても感動した。まだ指導者になったばかりのころだったから余計にだったんだろうけど。
わたしが辞めると伝えたら、彼女たちはどんな顔をするんだろう。
驚くだろうか。
わたしはものすごく口うるさく煙たい先生だから、あんまり悲しまないかもしれない。
土地柄だと思うのだけど、この教室の子どもたちは皆本当に素直だ。すれていない。誇張でもなんでもなく、わたしはこの教室の子どもが大好きだ。心底彼らの成長を願っている。世の中は日々しょうもないストレスであふれていて、ろくでもない大人ばかりだけれども(わたしもその一人なのかもしれないけれども)、それでもそんな世の中でたくましく生き抜いてほしいと願っている。
でも、そのためには、やはりわたしはここにいないほうがいいのかもしれない、とも思っている。
わたしは基本的に社会への順応性が低い人間で、朝は起きられなくて時間にはルーズだし、掃除も片づけも苦手だし、協調性も低い。だから自己評価もこの通り低い。子どもというのは本当に魂で生きているとわたしは常々思っているけれど、こういう大人が近くにいると、毒されるのだ。言葉にしなくとも、何かしら、影響を受けながら育ってしまうのだ。これは指導者をやりながらずっと考えていた。逃げの口上にはしたくないが、少なくともわたしは子育てに向いている人間とは言い難く、本当はここにいるべき人間ではないのかもしれない、という思いはずっとあった。

眠い。
教室でこれを書いていたらうたた寝していた。


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