- 2013年01月25日(金) 高望みはしない、と決めた矢先に最近知り合った男性と昨日急遽飲むことになったのだけど、なんかえらいハイスペックな人でもう全然だめだった。なんというか、しっかり生きている人だった。偉い人だった。もう、わかってるのに、なんだろうこれ、やめてほしい。一度持ち上げて落とさないでほしい。そんなら最初から普通の状態でいたい。だから高望みはいやなんだ。いや、よく考えたら別にわたしは今回の飲み会は望んでたわけじゃない。なんとなくそういう話になったんだ。でもまあ行った時点で何かを望んでいたことは明白で、だからこうしてもやもやしているわけだ。 薬を二日に一錠にした。 正直ぎりぎりな感じがする。 張りつめた糸が切れそうな感覚が、ずっと続いている。 しんどい。 でも、もう薬漬けの状態には絶対に戻りたくない。 しんどいんだけど、今の方が生きている。 きちんと自分の意志で動いている。 でもしんどい。 揺れ動く。 正月休みに心身ともにかなりいい調子になったのに、この2週間ですっかり無精者に戻っている。 お風呂に入って、部屋を掃除して、おいしいごはんを食べよう。 それだけでだいぶ救われる部分があるはずだ。 内にこもるな。動け。動いて癒されるんだ。 動くのをやめるな。 わたしは何を求めているんだろう、と思う。 不遜な言い方だけれども、20代のころは、わたしが好きになった人はだいたいわたしのことを好きになってくれていた。 たまに叶わないこともあったけど、まあだいたいは。 これが今ない。絶望的にない。 わたしが好きになる人はますます手の届かない人ばかりになり、わたしを好きになってくれる人はますます(以下略)。 理屈では重々理解できている。これを「高望み」と言わずしてなんと言おう。 それでも、わたしを好きになってくれる人を、わたしは好きになれないのだ。 自分の恋愛相場における価値の急落に、まだ気持ちが追いついていないということだ。わかっている。それもよくわかっている。 つまり、これを心底から実感するためにはもっとたくさん傷つかなくてはならないということだ。 高望みをしまくって、振られまくって、自分に本当にふさわしい人に目が向くようになればいいのかもしれない。 ただ心配なのが、その過程で壊れてしまわないかということだ。 正直、一歩手前な気がする。 もう仕事も何もかも放り出して、南の国に逃げてしまいたい。 明日にでも飛行機に飛び乗りたい。 薬のおかげで見えていなかった現実が徐々にクリアになり、じわじわと足元からわたしを蝕む。夢が覚める。 別に結婚しなくちゃ幸せになれないわけでもなんでもないんだし、今だってそこそこ幸せなんだし、何をそんなに恐れているのか、と思う一方で、老いへの恐怖、思い通りにならないことが増えていく恐怖を感じる。そうだ、これだ。思い通りにならないことが増えていくのが恐ろしいのだ。外見も中身も、日々どんどん硬直して衰えるペースが速くなる。努力を重ねても追いつかなくなる。同じことをやり続けていてもだんだん衰えるペースのほうが早くなる。もっと努力しなくてはならない。年を取るほど努力しなければならないのだ。なんという絶望。努力が嫌いな人間にとってこれほどの絶望はない。公務員試験と同じだ、と思った。努力しても報われるとは限らない。そしてその努力がほかに応用が利くかと言ったらそうでもない。方向転換しようにも、もう年を取りすぎていて誰も相手にしてくれない。 人生観の見直しをしたほうがいいのだと思う。 ただこれも頭で考えて自分をコントロールしようとしてもどうにもならないので、とにかく思うように行動して、気が済むまでやり続けて、それから何かを悟るしかないのだと思う。理屈ではなく気持ちの上で。 なんというエネルギーが必要なのだろう。 そういうアレをあざ笑う層が一定数いるのをわたしは知っている。 中島みゆきは「戦わないやつらの笑い声なんか気にするな(意訳)」と歌うが、やっぱり笑われたらみじめだし、自信をなくす。無様な戦いだからだ。 くぐり抜けられるのかなあ。 経験則ではこういう時期のあとには必ず何らかの光明が差してくるものだけど、でもまっただ中にいるときはしんどいよね、やっぱり。 -
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