捌け口としての恋2 - 2007年01月10日(水) 新春恒例のパーティというのがあってて、任意参加だったので参加してみたのだけど、こういうのがあるとひどく動揺する。 普段はパリッと仕事してる人たちがなんかはっちゃけて楽しそうにお祭り騒ぎをしているのを見るのは、とても心が揺り動かされる。 有体にいって、その人たちのことをとても好きになってしまう。 自分の心の中に、その人たちの面影をたくさん置いておきたいと思う。 厄介なのはこれが本来は仕事上の付き合いしかない人たちであることであって、深入りしすぎると双方に深い傷をもたらす。 あー。ほら、ボーダーラインがぼんやりと曖昧になっている。 しょうがないので家に帰ってすぐに寝た。 寝て、気分を変えようと思った。 夢の中では真っ暗で、わたしは何度か息が止まって目が覚めた。 いや、これは夢がどうとかじゃなくて、本当に普通に息が止まって目が覚めた。 なんだったんだろう。 無呼吸症候群とかそういうやつか? まぁいいや。 とにかく、目が覚めたらすこし気持ちは落ち着いていた。 学のお兄さんが「手紙を送ります」と言っていたのだが、今日までずっと来なかった。もうこのまま来ないのかもしれない、彼は怒っているのかもしれない、と思っていた。そういう夢を見ていた。 そうして夕食のため階下に降りると、その手紙が来ていた。 前にお父さんからも手紙をもらった。字が学のとよく似ているなぁ、と思った。お兄さんの字もまた、学の字とよく似ていた。 ふっと気がつくのだが、わたしはやはり強烈に癒しを求めていて、ただ一言、「大丈夫だよ」と言ってほしい。 そして恋は相変わらずわたしにとっては捌け口でしかなく、よく会う男の人に時折ものすごく切ない恋心を抱く。癒してもらうことばかりを気持ちの上で求めているだけ。そう、求めるだけだ。不毛だ。そのことを一番よく知るのはわたし自身で、何も表に出すことなく、そういう気持ちをあきらめることを、やっと。 本当に、やっと。その技術を覚えた。 もっと早く、覚えているべきだった。 いらいらする。 不毛なのは、好きじゃない。依存とか甘えとか、受容とか、ボーダーラインが曖昧になると、その人が職務遂行のために見せているやさしい顔を仕事以外の場で期待するようになる。だから今日のような場は嫌いだ。そういう不毛な期待を勝手に高めてしまう。捌け口としての恋は日常生活の障害にしかならない。わたしの中でラインは今極めてゆるくなっている。パーティに参加したからだ。いっしょに仕事している皆がかわいくて、おもしろくて、そういう姿を見せられて、ラインが緩んだ。そういうのは、もう無理なのだ。わたしは峻別できないのだ。けじめをつけられないのだ。一度決壊したら、あとは流れ込むだけだ。 だから、違うところに目を向けないといけないと思う。 もうほんと。無理。 ラインを死守しなければ。 -
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