日記...マママ

 

 

その気になれば - 2003年11月06日(木)

その気になれば、結構いろんなことが可能なのだと思う。

と思った次の瞬間、なんかもうどーでもよくなってくる。

他人を他人と捉えきれない私は他人にどう映っているのか。とか。

無口な人は、本当に何ら自己主張をしなくてもよいから無口なのか。
それとも本当は誰かに話を聞いて欲しいと思っているけど、うまく
話せない何かがあるのか。
あるいは深い「諦め」から口をつぐんでいるのか。
どの無口なのか。
勘違いするととんでもないことになると思った。

あなたはどれですか?
あなたの無口さは、どの無口さですか?


どうせ壊れる関係だったとしても、ここにいて忘れろと言うほうが無理だ。

ルータが置いてあるのは、私が「一緒にネトゲーやってみたい」と言ったときに、大金を出して彼が買ったものだ。
贔屓目かもしれないが、そのときの彼は確かにはしゃいでいた。

結局私はそのネトゲーが彼ほど好きにはなれず、ほどなくルータは無用の長物となった。
はしゃいでいた彼を思い出すと、心が痛む。

そのルータを介してインターネットを毎日やってる。

どうして置いていくんだ。

模様替えをしていると、彼の部屋着が出てくる。
せっかくなのでパジャマにする。
抱き枕にしているこのぬいぐるみはそういえばゲーセンで一緒にとったやつだったりとか。

彼がどんな人だったのか、未だに私はわからない。
彼も、もしかしたら、そうなのかもしれない。

私が右と言えば右がいいと言ってくれた。
私が左を向けば、彼も一緒に左を向いてくれた。
そして、私も彼に、同じようにした。

それは愛情だったのか。

知らないうちに都合よく脳内変換される恐怖は、最近もまた身近な人から経験させられた。
脳内変換の罪の重さを改めて知った。
脳内変換は相手を一人の人間として見なくなるということだ。


もう考えるのはやめにしよう。
考えることからおりよう。
考えたって、生きにくくなるばかりじゃないか。



あれから一言も話をしていない職場の何人かの人たちとの気まずさとかも、もっともっと、私は考えないようにしていいんだ。たぶん。

私も悪かったと思う。反省した。

それで終わり。

次に同じことを繰り返したくなければ、考えないこと。

誰かが今日も私を脳内変換しているのかもしれない。
でももう私は負けない。
話しかけられたら、くるくると中身もなければ当たり障りもない会話を遣り取りする。
目立とうとして目立ってるわけではありません。
それでも私に原因があるというのなら、これからは貝のようにひっそりと過ごす。
貼り付けたような笑顔で過ごす。

「目が笑ってない」なんて言われたりしたら、もう最高。
誰がおまえらなんかに心からの笑顔を見せるかっつーの。
無理して笑ってやってるんだからありがたく思え。

と、根拠もなく居丈高な本音を抱くのが私の中の黒い人。
でも割と良いことも言うんだな。この人。
心の中で握手。




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