子供のころの記憶。小2、3のころだろうか
秋の訪れの頃の夕暮れ。 暗くなるのが、とても早くなったことに気がつく 風が、ちょっぴり涼しい。
果てしなく、田んぼが広がる。 ススキの穂が揺れている。
赤い夕景がどんどん暗くなると、 果てしなく広がるその田んぼの稲が赤く染まる
山の近くの友人の家までは、とても遠い。 自転車で思えば遠くに来たものだと、思いながら
家に帰る道。 どんどん夜が背後から迫っていく
ふっと気がつくと、 広い台地の中央にて ぽつんと、ひとりぼっち。
自転車に乗った僕の影が長く伸びる。
すごくすごく不安。
真っ赤な空が暗闇の空に変わるとき 子供ごころに、すごく感傷的になってしまった。 このまま帰れないかも? このまま、この景色の中にたたずんで居たい・・・
ただ、ひたすら、自転車をこいで、とおくはるかに見える、 西条の街の灯りに向っていく。
でも、秋特有の、その空と台地の光景は、 いまでも、忘れることが出来ない。
夢にまで、時々出てくる。
ちょうど、きょうの夕方のような、涼しい風と秋の夕景に出逢ったとき、 いつも、その時の記憶がよみがえる。
僕は、とことん、秋から冬にかけての時間がすきなのだということを想う。
誕生日も関係しているのかもしれないね。
「小さな木の実」という歌を聞くと つい、涙ぐんでしまうことがある。
数年前、椎名林檎が、この曲を偶然歌っていた。 きっと、彼女も同じ感覚なのでしょう。この曲への思い入れって。
秋の夕暮れどき、僕は、ふっとこの歌を口ずさんでいたりするんですよね。
「コスモス」がもっとも好きな花 でも、ことしの猛暑のせいだろうか コスモスの生育がよくない。 あの可憐で美しいコスモスに、出会えない秋になりはしないかと、それも不安になる。
子供のころの、その秋の帰り道 真っ暗になったらなったで、今度は星空に夢中になってしまい 結局、なかなか家にたどり着けなかった。
いまでも、西条盆地へ訪れるときは、 やはり、秋だけは、特別な想いです。 (酒まつりとか、カフェとか、黄金色に光る田んぼや、赤く染まったプールバールなどを散歩したりとか。とてもとても楽しみ)
「秋は別れの季節」 秋は、人をせつない気持ちに駆り立てる 落ち葉を踏みしめながら、愛する人から離れていく・・・そんな感じだろうか。
秋って、ひとりがここちよい季節でもあるような気がします。 木立のベンチにひとり腰掛けて佇む時間がすき。
いま、ちょっぴり話題の「牛鍋丼」 きょう、吉野家へ行く機会があったので、いただきました。 おいしかったです。はい。ただね・・・
うーん、どうなのだろう。 牛丼に慣れ親しんだ人にとっては、この味、物足りないかも? 牛肉は牛丼に比べて少ないし、ツユも薄い味だし。
すき家や松屋の激安牛丼と、これで勝負できるのかな?
いまだに、やはり牛丼は、吉野家が一番美味しいとは想うけれど
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