「やさしさ」と「強さ」は表裏一体であると思う。
本当の意味で、やさしさをもっている人は、強さをもっているし 本当の意味で、強い人は、やさしさを持っている人。
本当に、人を愛することは、この人をずっと守っていくという強さに裏打ちされた結果だし、愛されれば、人は強くなる。
本当に、人の上に立つ人、強い人というのは、目下の人に対しても謙虚であり、きちんと耳を傾けつつ、やさしさを持っている人。
でも、どんなやさしさをもってしても、どうにもならないことがあるのが、人間の性であり、あいまいさでもある。人を裏切ったり、こころがわりすることだってあります。
だからこそ、自分に対する強さを持っておかないと、ずっと傷を背負ったままだったり、人を恨み続けたり、なにかから逃れられないまま、死ぬまでいきていかなくてはならなかったり。
私は、人がこれほどまで変わってしまうのか、信じてた人がこんなに裏切ったりするのかっていうのを、まざまざと見せ付けられることが多々あって。
だから、人の気持ち、愛情っていうのは、けっして持続しない。 人は、変わったことを肯定して、変わらないことを否定するありさまになるものです。 何を言っても、変わった人には無意味で、どうにもならない。 人を傷つけても、自分さえよければ、自分が楽ならば・・・結局、それに行き着くわけですから。
ときどき、やさしさの定義、強さの定義がわからなくなる。 信じていた人から、裏切りをうけたり、やさしくありたいから、必要以上に強くいたり。きっと、言いたいことも抑えて、強くありたいと思っていてるが、やはり疲れてしまう。その一方で、相手は抑えることもなく、あれこれわたしに言うだけいって、離れてしまうこともある。
ただ、ひとつ思うのは、 人を傷つけたり、裏切ったりした人も、 きっと、傷つけた人のことは、簡単に忘れてしまうもの。
でも、傷つけられた人は、ずっと傷を負って、そのことを忘れることってないこともある。
私は、人を傷つけていないか、こころがわりしたり、裏切ったり、 約束を破ったりしていないか。簡単に批評したりしていないか。ワンサイドミラーになっていないか。
自分がされて、いまでも苦しんでいること。 だから、自分はそれを人にしてはいけない。すごくすごく逆の意味でプレッシャーに苛まれつつ、日々生きているような気がします
「やさしさ」「つよさ」そこに、「厳しさ」を加えて。 すべては表裏一体。 私は、どんどん、追い込んでいるのはわかっていますが 人には、理解されない部分。そこは、自分に対して、厳しくなって けっして、人を頼ったり、理解されようとしないようにとだけは思うし。
昔とちがって、人に対して、ここ2、3年は、まったく本音だけは言わなくなった気がします。人の本音はたくさん聴くけれどね。
いままで、本当の意味で、自分の気持ちをいえる人にめぐりあえなかったということなんでしょう。
人は孤独というかもしれません。 でも、一生懸命生きてきて、人とも対峙してきた結果がこれですから。
これも、運命なのだと思って受け入ることなんだと思うんです。 もう、人のあいまいさに翻弄されるのは、正直しんどい。
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