「現在」をしっかり生きること、考えることは大切ですが、 いまがよければそれでいい・・・っていうのも、わかりますが、
僕はこう考える。
「これから先、将来を、きちんとイメージできる想像力・柔軟性があるかどうか」
僕が以前から言ってるけれど、 人として、必ず誰しもが平等に守らなくちゃいけないルールやマナー、 常識ってあるはずです。人間として、最低限の。
突発的なこと、突発的な不幸の場合は、ある意味仕方ない。 大切なのは、その時の自分の対応。 その時に、冷静に、先のことをきちんと考えて、どう対処すればいいか、 人間として守らなくちゃいけないルール、 人間として、基本的なまっとうで冷静な行動ができるかが求められる。 突発的なときって、ついどうしても、いまの自分を守るってことになりがちですが。
一方、人って「弱い」からこそ ときにきちんと先のこと、これからを想像できないことで、そのままルールから外れたままになって、罪を犯し続けたり、恒常的に惰性に陥ったりして、いずれ不幸になってしまうこともある。いまがよければ・・・では済まされない
人のやさしさや、人のいってくれていたことが、その時は受け入れられず、のちにその意味がわかって、後悔することだってある。
将来のことをイメージ・想像できるかできないかで、大きな差が出来てしまうことが、とても多い気がします。それが人としての強さに繋がる。
なんとか、いまの自分、強くなくちゃいけないからって、自分を保つために、ルールを侵したり、人を不幸にしたりするのは、なんだか違うと思います。
いま、自分の言ったこと、行動が、先で人を傷つけたりしないか、この先、自分を不幸に追いやることにならないか、ルールを侵していたら、いつか罰を与えられることにならないか、いまの自分は間違っていないか・・・って、自分の中で、先のことまで常にイメージして、考えて、判断することは、多少なりとも必要なんじゃないでしょうか?
話はちと変わるけれど きのう、原爆の日の夜に、広島都心で、田母神氏の講演会「ヒロシマの平和を疑う」が、予定通り行われました。 言論の自由ってあるし、いろんな考え方があるのは当然だと思いますが。この日を狙って行うというのは、ちとしっくりこない部分は否めません。
僕は単純に・・・核を持たないのが一番。 そう思うし、それが人類の基本・スタンダードだと思う。人間として、必ず誰しもが平等に守らなくちゃいけないルールやマナー、常識だと思ってる。まずそこからはじめないことには・・・
もちろん、田母神氏の主張(自国も核など武力を持つことで、平和を守るという感じの)、テレビや雑誌で拝見して、「理想と現実」の「現実」の考え方だといわれれば、完全にそれを否定することはしません。だけれど、上で述べた僕の単純な考え方が、まずは人としての常識だと思うからこそ、きのうという日に、ヒロシマで講演会を行ったって事については、その考え方とは、やはりかけ離れているんじゃって思います
僕たちも、「言論の自由もあるから、そういう考え方もあるんだね・・・」 くらいの程度で思ってればいいのかなって。
田母神さん、慰霊碑に訪れたのだろうかな?
これから、将来を、きちんと想像して、広くイメージして、いま、これでいいのか、悪いのかをしっかり判断して、行動することは大切ですが、平和とか、核問題とかも、いろんな考え方があるのせよ、基本的に平和であるために、人間としての常識を、これからも世界を憂いつつ、きちんとイメージする想像力を、みんなが持って、行動していかなくっちゃね
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