退廃を欲するということ〜太宰治の世界・椎名林檎の世界
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今年は、太宰治の生誕100年。 5日前の6月19日が太宰治の誕生日、そして自身の遺体が発見された日。東京の三鷹では、恒例の桜桃忌が行われる。いま、そんな太宰治がちょっとしたブームになっている。
映画化も相次ぐ。 「斜陽」は、佐藤江梨子主演で。「ヴィヨンの妻」は松たか子主演で。「パンドラの匣」は川上未映子主演。そして・・・「人間失格」は、主演を生田斗真が演じる。太宰のナイーブさを、うまく演じるだろうか?川上未映子さんが主演という「パンドラの匣」は、気になるなぁ。
角川文庫が、太宰生誕100年を記念して、 文庫本のカバーを、なんと、
「梅佳代」撮影 「祖父江慎」デザイン
この、ちょっと「飛んじゃっている」感性・だれも真似できない人間性を持ち合わせた2人がコラボレーションで出版する。 僕をはじめ、特に出版関係者にとっては、この上ないコラボレーションだと感じる人多いだろうね。全10冊のデザインを見たけれど、どう作品と共通性があるのか・・・ぱっと理解はできないくらい、斬新な企画です。
どうして、ここまで若い人が太宰の文学に目覚めたのか? ひとつの要素として、文体から思想、ストーリー、生き方に至るまで、現在の閉塞感漂う時代にマッチした上で、その文体が、現代の若い人にも読みやすい点があるのだろうと思う。
高校生あたりの多感な時期に、太宰作品に取り付かれ、人生立ち止まったときの愛読書としていた人も、きっと僕だけじゃなくて多いのではないでしょうか?
僕が高校生のころ、生きること、将来のこと、恋愛・・・そんないろんなことがごちゃごちゃになって抱えきれなくなる。それが多感な時期と相まって、すべてに閉塞感を持っていたころ。どこか、太宰治というひとりの人間に、近いものを感じたのは事実。太宰の文学から影響を強くうけ、その退廃的な世界、ときに女性的な、ときに人間の弱さを痛いくらい突き詰めた文章に、共感というより、逃げ場としての居心地のよさを感じたものです。自ら死を選ぶことまではなかったものの。その時期をそう過ごしたことにより、人生は大きく変わったと、いまでも思っている。
太宰は、39歳の若さで、愛人と入水自殺し亡くなるのだが。 どうなのでしょう。退廃的で絶望感の世界をともにする女性たち・・・その末に、女性との自殺を重ねてしまった。恋と生死が密接に関わっている太宰の生き方は、愛に傾倒して溺れる・・・ある意味、究極な恋愛をして、生きて最期を終えたといえるのかもしれません。
ここまでたくさんの人が太宰の生き方、太宰文学に共鳴するってことは、いまこの時代でも、人々には、明と暗、2つの人間を持ち合わせていて、自分にとっての暗の部分は、こうした文学によって、共感を得ることを欲しているのかなって、思うところがある。人は弱いものである、愛を欲している・・・それを潔く認めることができる文学という意味でも。
今夜の「SONGS」は、椎名林檎の1夜目。彼女が、博多で通っていた中学校を訪れ、多感だった学生の時期、そしてデビューからその後の苦悩などを語っていた。とても意外に思えるエピソードもおおく。
テレビであまり披露することなかったであろう「罪と罰」も歌っていた。 何かと新鮮に感じる30分でした。
そもそも、椎名林檎の曲・詩の世界は、太宰文学と同じく、退廃的で、究極までストイックに人間というものを突き詰めたもののように思う。無論、彼女のかもし出す凛とした強さも重ねて。昭和的な言葉を歌詞に並べるところも、文学的で。だれしも印象に残るメロディーは、太宰文学の若い人でも入りやすい文体のように、すーっと入っていくものなのですよね。
林檎さんは、歌によって、まったく顔も、雰囲気も変えている。まったく違う。彼女のライブでもいえることだが、自分、そして曲の世界観をストレートに演出することに長けているともいえるが、ここまでころころ顔が変わることができるのも、彼女でしか持ち得ない、魅力のひとつなのかもしれませんね。
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