再び、菜種梅雨の1日。よく降りましたね。 よく、涙雨とかいいますが、きょうはなんとなくこころが悲しいというか、しんみりした1日でした。気分転換したいところだけれど、なかなか時間に追われている毎日なので、自分に戻る時間っていうのは、限られている。
街は傘の花が咲いています。 広島の雨降りの街も、僕は大好きです。 みなさんは、どうですか?
人の縁というのは、大切にしたい。 縁というのは、お金で変えるものではなく。 自分のこころがけ以上に、運やタイミングが大きい。 大切にしようというこころがけがないと、ずっとずっと続く親友も、伴侶も得ることができないもの。
でも、人との縁やつながりを過信してしまうのは、よくないというのが私の持論。
一期一会。私の大好きなことば。
その出会いは、偶然かつ、かけがえのないものではあります。 出逢いから、自分の人生は大きくかわる。可能性は広がっていく。
でもね、人との関係や縁って、すごく深いとか、ずっと続くとか・・・ そう想いすぎるのは、よくないと思うのです。
さらっとした関係。 なんていうんだろう、この人のためにというのが強すぎると、どうしてもギブ&テイクを求めてしまって、うまくいなかくなる。相手が重荷になってしまうこともしばしば。友人でも、恋人でも、永遠に続くとか、堅い絆で繋がるものだという前提だと、結局、行き着くところは、自分自身を追い詰める結果になりうる。
本当に人との縁を大切するということは いろんな人と接することができる柔軟性と、たとえ、期待が外れたり、別れたり、人が去っていったりしても、あまり傷つかない強さであり、適度な距離感で、ときに静かに見守ったり、ときに力になったり、ときに笑わせたり、ときにそばにいてあげたりできる、その強弱というか、メリハリがうまくできる人のようにおもいます。そういう中で、ずっと続いていく関係なんじゃないかな。
であった人には、みんなに好かれたい。僕はそういうところが強い人間。 でも、みんなに好かれるということは、心底愛される人がいないってことかもしれない。逆に言えば、嫌いと想われるような人もいない。
自分のことを心底愛してくれる人がいるということは、その逆で、自分のことを嫌いと想われる人がいると思う。 それでも、自分を信じて、嫌いという人を跳ね除けて、愛してくれる人を想っていけるか。そういう人のほうが、もしかしたら、いい人生なのかもしれないな・・・
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