たとえば、別離というかなしい出来事があったとする。 もちろん、人は誰しもこの事実から逃れられない運命にあるとおもう。 10の恋をしたとしても、そのうち、9は、必ず別れもついてくる。いや、たとえ10番目の恋がずーっと一生愛し合える関係となったとしても、自分より先に相手がこの世からいなくなれば、別離になるわけで
たとえば、ひどい仕打ちを受けたとしよう。だまされたり、痛い目に合わされたり。 もちろん、人生には、いいことも悪いこともある。その波があるから、人生は面白いのかもしれないし、その波がないと、人間的に成長はしないとも想う。
誰しも、悲しい出来事は訪れる。 立ち上がれないほど、辛く、失望し、明日を見失うようなこと。 人を信じられなくなったり、投げたしたくなったり
時間は、そんな人のこころをゆっくりゆっくり修復させてくれる力がある。忘却、風化・・・そんなものによって、辛いこと、悲しいことも、完全に消えないにしても、その重さは少しずつ軽くなっていく。
でも、人には、癒えることのない心の傷、トラウマというものもある。それは他人にはどうにもできないことでもあったりする。理解されることもできず、ずっと死ぬまで抱え続けることは、やはり悲しいこと。(無論、自分もそのうちの一人だが)
悲しいことは、無理に忘れることはない 忘れて、また同じ過ちを犯すくらいならば わすれるな!
悲しいことも、人生の中で、なにか意味がある。 意味があるから、忘れることはない。 それも自分、それも人生。それがわたし。そう想いたい
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