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広島のきょうと明日が交わる時刻・・・やさしい時間が流れる空間
こんばんわ。みなさん、きょうもおつかれさまでした。風の強い一日でしたね。宮島航路のフェリーが、2時間も欠航になったそうですもの。これって、春一番っていうのかな?
きょうのテーマは、「多面性と心の闇」について。
誰にでも、いろんな顔というものがあると思う。人間は、多面性を持ちうるものです。例えば、嘘をつくとするでしょ?それで、もう、違う自分を作り上げたことになる。
私はね、この10数年、いろんなことがありました。 近いし人に裏切られたり、しんどいこともあったり。いろんな人間を見てきたと思います。その結果、いまの自分は、こう考えるようになった。
「人は多面性を持っている。だから、いま自分が見てる、感じてるその人は、一部分であって、こころの裏側には、見せることの無いその人の顔があるのだと」 よく、僕はいいます。人のこころはフタシカなんだと。そこと相通づるものがあると思う。
だから、僕は、簡単に言葉にして、その人を悪い評価することはあまりしたくない。そして、人を(マイナス要素のことで)簡単に言葉にして評する人の言うことは、あまり信用しない。ただし、人は8割方、見た目で判断するわけだし、ある程度、簡単に評価するのはあたりまえでもあるけれどね。それを思っていても、言葉にすぐしちゃうのはどうなんだろう?って感じる。時間をかけて、ゆっくり見てゆかないとわからないことなんて、たくさんある。人なんてその最たるものなんだって。
私は、どんな顔を持っているのだろう? あくまで、人の評するところでいうと、神経質、おだやか、空想的、聞き手・・・仕事は不器用あたりかな。でも、ある人にとってみれば、良く笑う、楽天的、冗談も言う・・・などなど。そのキーワードは数多いはず。なかには、嫌っている人もいるはずだし。
ただ、自分でさえ、その多面性に気づいている。ときに、人を恨んだりしていたり、泣いていたりもする。無論、誰だって、躁と鬱の波はあるはず。その振れの大きさが、その人の多面性にも大きく関わっているような気がしています。本当の自分はどれなんだ?と、自問自答することだって、誰しも多からず少なからずあるでしょ?
最近、その多面性のギャップの大きさから、自分の中でコントロールできなくなり、不可解で重大な事件を起こす、自ら命を絶つ・・・なんてことがあったりします。まじめで、いい人を!という自分と、寂しくてどうしようもない自分、自暴自棄な自分、悪い自分。天使と悪魔、心の中の葛藤と無意識な行動。人間の複雑さからくるものではある。
いろんな人を見てきたことで、人がこころ変わりしても、「まぁ、仕方ないな」と、ある程度自分で制御できるようになってきた自分がある。逆に「許せない人」というその線引きは、しっかり引いてきたところがある。自分なりのルールの線引き。その分、人の本質を、静かに、ゆっくり引き出して、見ていくようにと、思うわけです。どんな人も、もっともっと、深い部分では、違う面がある。本音と建て前って存在する。そういうところまで、見ていけるようにと思うことは、大切。ただし、あくまで自分ひとりがさりげなく思うことでとどめておく必要があるけれど。
ただし、どうしてもそういう公式には、当てはまらないことがある。 それは、恋愛。ゆっくりしていたら、恋愛なんて出来やしない。恋する感情は、時に、どんなルールや公式をも、超越する、強引さが許されることも多分にあるから。難しいものです。ただ、私は、誰かを真剣に思っていても、なかなか伝わらないことが、いままで多かったからね。人は、そうした多面性がある私を理解することはできないようだから。
多面性は、あって当然。その人の意外性や、こころの闇があるからこそ、その人をもっと知りたい、もっと話たい、もっと理解したい、もっといっしょにいたいと思うのではないでしょうか?
わたしにも、こころの闇はある。いろんな多面性を持っている。 ただ、おだやかに、生きてゆきたい。それだけです。
さぁ、きょうはここまで、
あしたもみなさん、素晴らしき1日になりますように それでは、See You!!
次は、テーマをガラッと変えましょう
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