人間は、時に悪魔にならざるを得ないときがある。 僕は、強くそう思うのです。過去の自分から、そう思うのです。
人間、生きているうち、人と関わっていると どうしても、どうしても、どうしようもないことが出てくる。 それは、どんな良心を持とうが、どんなに情熱を傾けようが、決してどうにもならないこと。
それが、壁になって、人は立ち止まる。苦悩する。時に、人を傷つけたり、自分を傷つけたり。社会に適応できなかったり。裏切りに悲しいんだり。
社会がそうしてるのか?人のこころの儚さがそうしているのか? いろんな要因があり、いろんな現実を知ることとなります。
どうしようもないことを、どう受け入れて、やり過ごしていくか。 ある種、そうしたずるさを身につけることかもしれない。融通が利かない、ひたむき過ぎるやりかたも、時には、否定せざるを得ないこともある。
その人の為といいながら、自分の為だったりすることもおおい。そういうの偽善というのだろうか?いや、違う。 どちらにしても、人は、時に悪魔になって、何かを犠牲にしたり、傷つけたり。その繰り返しだったりするものです。
僕は、過去に、「そうしないと、これからが不幸だ」という理由から、悪魔になって、人に接したこともあります。なにかを手離すことで、誰かを傷つける。自分も傷つける。でも、どうにもならないことだと気が付いた時、悪魔になることを僕は決意する。
それから、何年か経って、その判断が正しかったことを確認していく。 時間はかかるが。でも、悪魔になったからこそ、過去を否定してまでも、現在という現状にしていかないとならないことだったと・・・
人と出会う、接していくということ。 それは、ときに悪魔になって、ピリオドを打つ勇気、ときにひたむきに、その人の為に尽くすという勇気。その2つの要素ってあるような気がするのです。
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