「世界の中心で、愛をさけぶ」を朝ビデオで見ました 何度もこの日記で書いてて、またかと思うけれど、ほんとうに号泣です。 朔太郎とアキの父との緊迫したやり取り・・・「きみになにができるんだ!」 白血病という十字架を背負ったアキを取り巻く人々の葛藤が描かれてた。 僕にとって、このドラマですごく印象に残る登場人物が、朔太郎の父と母。 とくに、写真館を継いだ、朔太郎のおとうさん。不器用で小心者だけど、やさしく、本当に静かに影から朔太郎を見守る姿がすごくジーンときます。(高橋克美さんが演じてるから、なおさらなのかな)あんなおとうさんになりたいものです。
緒方直人演ずる現在の朔太郎が、アキの遺骨の灰を持って、海に入水自殺しようとする場面で終わってしまった。 朔太郎が純粋すぎたゆえ、17年前の悲しい記憶から逃れられず、苦悩し続ける。 「アキの変わりに死ねといわれたら、喜んで死んでると本気で(17年前は)思っていた」 人を愛することへの究極の愛情って、この人の変わりに死ねるものなら死んでもいい・・・ ということにたどりつくのでしょうね。そこまでの深い愛情をお互いが持てたとしたら、その2人は、本当の意味での永遠の愛なのだと思う。 現在の朔太郎の心理、こころが痛いです。 大切な人を失ったという事実から、17年間逃れられないでいる・・・
僕は、ある時点から、「サヨナラダケガジンセイダ」という言葉をこころに持つようになった。昔、熟読していた寺山修司の本の中にたびたび出てくる言葉。寺山自身が、おまじないとしていつも口にしてた言葉(正確には逆さ言葉で読んでいた)。寺山の全ての作品・こわれそうなくらい繊細な文体をあらわしてる言葉です。 僕は、大切な人との深い別れを経験したとき、身にしみて、その言葉の本当の意味を知ることとなったのです
朔太郎のような生き方、寺山修司のような生き方、どちらも、普通の感覚からすれば、苦しい生き方だと思うだろうね。でも、そこには、人間として純粋すぎたからこその苦しさなのだという気がする。だれにも責められない・・・
僕は、必ず、救いは訪れると思うのです。そう信じたいです。 それは、朔太郎にも、僕の周りの、苦悩してる仲間にも、僕自身にも、信じたいです。うん。
そうした純粋な生き方、純粋な愛には「悪」の要素は全くないわけだから・・・
|