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 2024年05月08日(水)   意味も価値もなく 

先月買った『横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか』を
やっと読了しました。2700円もした、ここ最近購入した中で最も高い書籍です。
買う際も書店をいくつも探しました。近頃、本当に本屋が減っていて大変です…。

20世紀末の出来事を4年以上かけて筆者は綿密なアポイントメント(人脈をたどっても
一部のフロント関係者は周囲との関係を断ったらしく捕まらなかった模様)と
丹念な聞き取りで取材。当時何が起きていたのかを淡々と編み上げた文章は
フットボール批評に連載され、今回、大幅加筆を経て400p近いハードカバーとなりました。

書籍としては評判にたがわぬ良書でした。間違いなく。フリエ消滅を描きながら
序章はなんと日本へのサッカー伝来から。外国人居留者が多かった港町がその入口となり、
横浜もその一つとして日本人がサッカーを始めました。KING KAZUの父親や李国秀氏など
驚くような人名が飛び交う黎明期より横浜にあった一つのサッカークラブは
やがてある企業により実業団(読売はやや異色なれどそれでも読売という企業)
リーグに巻き込まれます。それが全日空です。会社、選手、指導者それぞれの
思惑が噛み合わなかった結果、トライスターなるそのチームは日本リーグで
選手が試合をボイコットする(そしてその選手はJFAを追放される)汚点を残しました。

重厚長大―日産、古河、川鉄、住金、日産、トヨタなどJクラブのオリジナル10は
製造業の会社をルーツにしているケースが多いです。その中にあって、
どこか地に足がつかない振る舞いの全日空。この風土がフリエをのちに突き落としました。

Jリーグはとてつもないブームで幕を明け、オリジナル10はどこも優勝狙いを宣言し、
選手の年俸も横並びでした。身の丈経営なんて概念が土着しておらず、
主力を放出すればサポーターが反対署名を集めていました。サンフレで署名に
協力を求められたのはフリエ騒動より前だと記憶していますが、今思えば
悲しいくらい滑稽で切ないですね。ブームが去った後、経営難に苦しむクラブが続出。
ヴィッセルやエスパルスは拾い手が現れ、サガンは地元がどうにかあがきました。

フリエを担っていた全日空も佐藤工業も横浜の土着ではありません。佐藤工業に至っては
社長が個人的にサッカー好きだっただけで、退任と同時にスポンサードを縮小されてしまいます。
不運なことに、横浜には同じく責任企業・日産が傾きつつあったマリノスがありました。
企業が合併するように…よくある合併のように、2クラブは合併しました。
エンゲルスがサッカー界では縁のない「合併」という日本語を知らなかった話、
胸に迫るものがありました。この本はフロントにも現場にも肩入れせず、
ただあった出来事を取り上げているので、合併に至った一般企業の感覚、
社会人歴を重ねた今となっては分かってしまうんですよ、私にも……。

フリエが追いつめられる以前のドーハの悲劇から初期のJリーグ(1996年・
国立でのフリエvs鹿島など)、フランスワールドカップ予選など自分もリアルタイムで
体感した過去の描写に突入してからは、他人事のように歴史を読み進めていたのとは
読み進める感覚が一変しました。苦し過ぎました。しばらく放置期間があった程に。

ドーハの辺りから既に、常に金銭の浪費が宿命として付きまとうサッカー界は
私の情感とは乖離した現実的な理屈であれこれが動いていました。考えたら当然のことです。
それでも、フランスワールドカップで渡仏するまでの歳月は、最も多感で、
青春していて(私はこの時期しか恋愛していません)、最終予選では国立競技場前の
テントから大学に通学するなど、人生の全てをサッカーに捧げた時期でした。

その頃出会い、共に渡仏したサポーター仲間の…フリエサポの応援対象を奪う
クラブ消滅へのカウントダウンを、私はフリエの練習場まで行って味わいました。
フリエの消滅は、私の実体験でもあるのです。そんな私にこの良書が突きつけてきたのは、
当時の私が抱いていた感情―憤りや哀しみには何の意味も価値もなかったという過酷な現実。
辛すぎました。もう二度と読まない本でしょう。良いノンフィクションですが。

2024.5.9 wrote


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