Land of Riches
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年明けの風都探偵から幅広い作風の舞台に立ってきた(映像もいろいろあった) 和田さんの、本人曰く2023年最後の作品である『燕のいる駅』を見てきました。 劇場はダブルに続き、新宿の紀伊國屋ホール。パタリロの苦い記憶も払拭できたかな…? (別にパタリロという作品自体に悪印象はないのですが、どうしても…)
東京公演の主催がおしゃべやから縁のあるニッポン放送なので、和田さんがまさかの オールナイトニッポンを一晩もらったり、他にもラジオに生出演したり。 りんたこでも珍しく2次先行まであったのですが、今回は1次先行のセンブロ2列目でした。
1997年初演の、世界が終わりを迎える日、緩やかに壊れていく人々を描いた ワンシチュエーション会話劇。世界滅亡を描いた作品といえば、中学の図書室で出会い、 作者が20歳の時に書いたと知って小説家の夢を断念した新井素子『ひとめあなたに…』が 私にとっては原点にして頂点です。この小説では隕石衝突が広く報道されているのもあり、 人々は過激に壊れるのですが、今回の舞台では正確な情報が登場人物に与えられません。
情報不足に苛立つ商社マン、先輩の口撃とも相性が良く最後は徒歩脱出を提案する後輩、 商社マンの口撃にはうんざりしつつも彼よりやばい頑固ブラコンの女性、 好物のカレーパン以外に能動性を一切発揮しない駅員、そんな弟分の無邪気さに 救われたり傷ついたりしている兄貴分の駅員、カレーパンサーバーだと思われている 現状を打破しようと頑張る売店の女性、世界の終わりを告げる預言者。 この7名が入れ替わり駅員の休憩スペースにやって来て会話を展開するのです。
板の上では明瞭に語られないのですが、作中世界には強烈な外国人差別があり、 日本人以外は等級別のバッジを強制されています。和田さん演じる駅員・高島は カレーパン以外に興味がないので、そもそも差別の存在を認知していません。 屈託なく接する彼は兄貴分の救いであり、同時に何も考えずバッジを羨ましがる姿に 深く傷つけられてもいます。売店店員・戸村は高島に好意を抱いていますが、 これにも気づいていません。ペットから見て餌をくれる人間、みたいな感じです。
壊れた人々の日常なので、感情移入しにくく、自分と一番近いのはネチネチと ありもしない情報を求める先輩商社マンなのだと自覚させられました。 そんな先輩を相性がいいと評し、最後、列車が来ないなら橋を歩いて渡ればいい、と 最後まで自ら動くことを諦めなかった後輩が非常に好感度高く感じました。 私は活動宮の人間だと改めて思い知らされました(苦笑)
タイトルの燕、高島が落ちそうな巣を直そうとするのですが、親鳥がそれを妨害します。 親鳥は子に愛情をもって接しているわけではなく、生物の本能で、 餌を求める子に生きるエネルギーを供給しているだけだと作中で説明されます。 高島が作中の人々とやり取りしている間に、巣から負けた雛は落とされてます。 それを知らない高島が最後に弟を待っていた女性に巣を見に行こうと提案する やり取りで劇は終わります。観客の想像力に委ねるクロージングですね。
購入後に発表されたので狙ったわけではないのですが、カーテンコールで SNS掲載可能の撮影会があり、しかも撮影会が東京公演3回目とあって 事実上グッズ販促会になってしまいました。これでしんみりした気分は 粉砕されたんですけど、平日に観劇した身としてはそのクラッシュに感謝すべきでしょう。
正直、次の日に仕事がある夜に見ていい作品とは思えませんでした。 じゃあ週末ならいいのかと聞かれたら、そうとも答えられないのですが…。 難しいです。ちょうど仕事が終わる金曜の夜辺りがまだマシかもしれません。
2列目だったので、昔からの撮影下手で知られる私でもXで見知らぬ人から いいねをもらえるレベルの写真は撮れました。とはいえ、下手・上手・センターの 3か所で行われたうち、一番近い下手はスマホのカメラが二度も強制終了して 1枚も撮れず、どうにか撮影できたのが近くはないセンターだったのが残念でした。
もし世界が終わるなら。 家族と会うには岐阜は遠すぎる(滅亡を迎えると公共交通機関は動かなくなる)ので、 まだ見ぬ景色を求めて、暴走する人々の間を縫って歩いていくしかないでしょう。
2023.10.7 wrote
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