Land of Riches


IndexBeforeAfter

 2019年02月02日(土)   見いだす 

毎年恒例となりつつある佐野美術館のとうらぶコラボあり展示。
今年はスルーするつもりだったのですが、あまりに展示の評判が良いので、
思い切って新幹線で行ってきました。車内でのFGOは捗りませんでしたが…。

郷土資料館・三島大社宝物館・ホテル・駅と毎度おなじみのスタンプスポットを
さくさくと回ってたどり着いた佐野美。今回の展示テーマはREBORN、被災刀です。

過去2回の展示は狭い館内に所狭しと刀が並べられ、頭痛を覚えたりもしましたが、
今回はテーマがテーマだけにか、間隔も広めでゆったりと鑑賞できました。
それに並んでいるのは再刃・焼身が大半なので肌をじっくり見据える等もなく…。

とうらぶには伝承優先で被災刀が何振りも実装されているのもあり、
展示されれば相応の人が集まります。ですが、従来の刀剣鑑賞の流儀では
研ぎ減りしたものでさえ劣る(明石国行のような生ぶこそが良品)であり、
焼身など美術品としての価値すらない…とされてきました。

大坂城落城で秀吉が集めた名刀の少なからずが焼けたのですが、
これに価値を見いだし、当時の名工・越前康継に再刃を命じたのが家康でした。
(獅子貞宗を再刃し、いくつも写しを作りながら、獅子の写しと命名したのが
一振りだけだったなど、康継にもエモいエピソードが伝わっている)

明暦の大火・関東大震災・山火事等々で焼けた刀が出展されているのですが、
いつ再刃されたか不明なごく少数(不動行光はその一振り)を除き、
全て徳川家関係の所蔵品でした。尾張徳川家、水戸徳川家、井伊家、東照宮。

特に関東大震災で被災した井伊家の刀は、水戸徳川家のバックドラフトとは異なり、
ガチで火事にて焼けたもので、パッと見たら熱でぐにゃぐにゃに歪んだ
錆びた鉄屑でしかありません。キャプションに銘は健全とあっても、
私の目にはどこに銘があるのか分からない程の大ダメージ。
水戸家でも燭台切はまだマシな方だと思える黒い塊をいくつも見ました。

それでも価値があると保持し続けること。昭和末期に大量の焼身を
当時の人間国宝たち(名刀の写しを各地で見ている私でも名前を覚えてきた
隅谷さんのような名工ら)に再刃や窓開けをオーダーした東照宮も凄いし、
燭台切も再刃するか検討した末、現状維持+写し作成を選んだ水戸徳川家も凄いです。
その美学のルーツは家康だったのです。焼身に価値を見いだした家康。
斬れない焼身は、平和な時代だからこそ再刃に意味を持てたというか。

展示の最後にあったのは、平泉で井戸の奥から発見された刀子でした。
これをどう保存するか、喧々諤々の末に取られた処置は片側だけの研磨でした。
お陰で、当時の地鉄等の美しさも分かったと、この目で思い知らされます。
どのような在り方にしておくのが次善か、携わる人々は知恵を絞っているのです。

展示室に集まった人の数も、観るのが苦痛になる程度の混雑ではありませんでした。
(途中飛ばして2周すれば見切れるような程度の人の入り)
館内でボランティアさんが同僚と話していましたし、街中にある
非公式刀剣グッズを売っている店でも売れ行きで把握されていたのですが、
REBORNは1月のある段階まで、もっとたくさんの人が訪れていたのです。

人が減った理由、それは燭台切が水戸に帰ったから。
非公式グッズも彼のだけがとにかく売れて、一時品切れになっていたのです。
スタンプラリー商品交換ポイントに置かれた落書きノートにも燭台切の絵は多数。
水戸より三島が近い、関西方面からの来訪者が多くを占めていたようです。

たまたまですが、この日、水戸市ではふるさと納税10万円の返礼品として
燭台切光忠を手に持てる(!)イベントが開催されました。20人で200万。
これは応募開始からわずか20分で満員御礼として締め切られたものです。

今年の花丸遊印録で燭台切は駅長制服(白スーツ!)の描き下ろしを
ゲットしていますが、1日駅長を任されるのも当然だと腑に落ちました。
ほんの1か月弱滞在した三島ですら経済効果を及ぼしているのです。
(お店の看板イラストとしても2か所で見かけました)
過去2回の遊印録、そしてほぼ恒常的に継続されている展示を目当てに
水戸を訪れた審神者が何人いて、かの地でいくらのお金を費やしたのか。

よく山姥切国広の展示が足利にもたらした経済効果が4億円と言われますが、
もうそんな程度ではないでしょう、燭台切は。立派な水戸観光大使です。

そして、燭台切が時折出張しつつもほぼ常設展示されていて、
おまけにお触り会(!)まで実施することができるのは、彼が焼身だから。

国宝等には展示制日数制限がありますし、そこまでいかなくても、
刀は本来展示するだけで傷むものですから、ずっと置いてはおけません。
(ずっと置いておけば、かつて朝倉で見たような錆び混じりになるんでしょうね…)
けれど燭台切は、酷い言い方をすれば焼けて黒くなった鉄の塊だから、
美術品としての刀とはカウントできない立ち位置にあります。

かつて水戸家の当主が子供の頃、屏風に落書きをしたら「この屏風は
こうなる運命だった」と親に言われたことがあるのだと講演会で聞いたことがあります。
バックドラフトは悲惨な出来事だったけれど、焼身になったからこそ
今の稼働日数があって、それに伴う経済効果が発生している。

燭台切はとうらぶを巡るブームを代表する存在だと思っていますが、
数奇な運命をたどったからこその立ち位置というのが、またぐっと胸にくるのです。

2019.2.3 wrote


やぶ |MailWeblog