Land of Riches


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 2017年10月08日(日)   筋肉痛は予測できるのか 

宮崎での展示にはフライトを検討しても踏み切れなかったソハヤノツルキを見に、
人生で初めて久能山の石段1159段を上り下りしてきました。ふもとの鳥居までは
学生時代、まだ三保ではなく蛇塚にエスパルスの練習グラウンドがあった頃、
帰りのバスがなくなってしまって、暗い夜道をタクシー呼ぶ私でも分かる目印求めて
歩いて行ったことがあるのですが…久能山東照宮はそれ以来だったのです。

清水駅前は整備され、岐阜駅じゃないですが綺麗だけど味気ないロータリーに。
(西口ではなく東口ではマグロ祭りが大体的に開催されてましたが)
久能山へのバスは日に片手の指で数える本数だと調べて行ったんですけど、
想像以上のダイヤに帰りは大苦戦する羽目に…後述しますが。

1159段は歴史あるためかゆるい傾斜なんですが、運動不足の私は息切れ。
地元の老人には励まされるも、散歩に来たチワワですら軽やかに進んでいくのに
自分が随分と情けなく思えました。犬の散歩には3組すれ違いました。
あれが日常の散歩コースって地元民強いはずですわ。秋祭りも山の上でやってましたし。

日光と規模は違えど、建築趣旨は同じなので、祭殿の装飾は派手ですし、
墓への道に並んだ石灯篭は、毛利や井伊などの大名家が寄進した年代物です。
まるで将軍の前に皆が控えているかのごとく。

そんな家康の愛用品を並べた博物館にソハヤはいました。
家康の日用品は家具も刀も他の大名家遺品で見られる煌びやかさは乏しく、
見るからに地味なものが多かったです。彼の性格なんでしょう。

ただ、拵えは地味でも、刀身はこれぞという優品ばかりでした。
ソハヤの相方は行光の脇差なんですが、見事なものでした。
そしてソハヤ自身は身幅が広く、これを西方への牽制とした気持ちも察せられました。
むしろ、とうらぶでのソハヤは自分が写しであるのを卑屈になってる設定ですが、
そうなったのが不思議でした。大包平くらい強気でもいいんじゃないかと思ったくらい。

あと、宮司さんが恐らく集金に積極的だと推察されるところも
(ソハヤは少し前まで宮外不出だったようですが、先述の通り宮崎行ったりしてますし)
家康を祀った東照宮らしいかな…とちょっと思ってしまいました。

山を下りてから駅に戻るのが大変でした。大江戸物語系の日帰り温泉の
シャトルバスを使えば良かったものを、それにちょっとの差で乗れず、
その温泉まで歩いてみようと坂道を登ってみたもののやはり少しの差で乗れず、
結局、静岡駅までのバスが1時間に数本ある東大谷まで延々1時間半も
海沿いの道を歩き続ける羽目に陥ったのです。苺狩りの人たちがドライブするルートを。
石段の後では平らな道は苦になりませんでしたけど、日には焼けました…とほほ。

それでも新静岡セノバで食べたさわやか(今までは駅から辛うじて徒歩で行けるのが
掛川インター店だけだったのでありがたいことこの上なし)のげんこつハンバーグは
やはり美味しくて、実はこれが目的で静岡遠征を組んだ自分に納得したのでした。
バスで行くつもりだったんですけどね…三連休にずれこまなければ。
在来線3時間の旅も久しぶりでした。スマホいじってると長旅には感じませんでしたね。

2017.10.17 wrote


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