Land of Riches


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 2011年04月01日(金)   TSUNAMI 

業種柄、震災対応部署への応援要請が来るのは予想していたけれど、
年度末の自然減への穴埋めがない状態では辛すぎます。仕事回せません。
応援に指名された当人の、休日返上強制よりはマシですが…。
逆の意味で、計画停電になると無給自宅待機を命じられるテレアポ勤務よりもマシなのですが。

職場では現在、東北地方の担当ではない(以前やっていた時期もあり)んですけど、
今日、ひょんなことから三陸にて避難所在住の営業からの電話を取りまして。

ベガルタライターの小林さんには上京された折に直接お話をお聞きしたし、
twitterにてやり取りした被災者の方もいらっしゃるんですが、
津波の被害が甚大だった地域の方とダイレクトに話すのは、実は初めてだったんです。
家も仕事場も何もかも流されようと、生きている人が幸福なのは当然として、
遺骸が見つかり、死亡が確認された人は、それだけでもまだ恵まれてると言うのです。

安否を確認したい相手の、自宅も職場も親戚も取引先も、思いつく限りの縁故一切が
全て津波に飲み込まれ、生死を確認するすべがない。ただ、その対象は公文書の中だけに存在し、
法律上の取り扱いが決まらない限り、在るものとして対峙しなければならないのです。

生物としての命と、社会構成上の状態が、リンクしていない。

圧死よりも焼死よりも、遺体が見つからないだけ、周囲も諦められないという今回の津波。
仕事(と停電)を通し、柏在住の私も着実に蝕みつつあります。果ての見えない闘い。


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