Land of Riches


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 2011年03月12日(土)   帰還 

あれだけ失くし物注意と言っていたのに、レンタル自転車で鳥栖市内を走行中に
段差を超えたはずみで携帯を落とし、鳥栖駅前交番のお世話になりました(挨拶)
拾って下さった鳥栖駅前某所在住の女性の方、本当にありがとうございました。

帰宅して見てときめいてしまったこの表紙画像、不埒なことをしている(…)
左下の白髪お兄さん―アーチャーは、ゲーム中で、炉心溶融しかけた原発を独りで解体する
【奇跡】を起こすため、自らの死後を、万能の釜たるムーンセルへ売り渡した設定となっています。

今回の一連の報道で、この設定を思い出したファンは私だけじゃなかったようで。
残念ながら…現実世界には、人智を超えたミラクルで全てを解決してくれる英雄は
存在し得ないわけで、ただ生きている力なきヒトが、力を合わせて乗り越えるしかないのです。

報告遅くなりましたが、23時前に帰宅しました。時間がかかると予想された
帰路(話には聞いていたけど、電車が間引かれてて…)において身軽に行動するため、
衣類中心の荷物は宅急便で発送したのですが、今日の正午前後にクロネコヤマトの
引き受け基準が変わって、千葉県着の荷物は受けられないことになってしまいました。
よって、現在、私のボストンバッグは鳥栖のホテルフロントが好意で預かってくれている格好です。

今回の遠征では、デマも多いですが、twitterの威力を痛感させられました。
災害に強い通信手段扱いされてきた携帯メールすら、遅配や手動受信必要など
迅速には機能していない中にあって、東北在住の友人の無事を確認できたり、
被災地ではない首都圏の状況をリアルタイムで知ることができたり…レンタルPCにて
TLを追い続けていなかったら、それこそ羽田で海外から帰国して呆然としている人のように
情報浦島太郎になっていたのではないかと、容易に想像されるのです。

自分はまだskype未導入ですが、これとUstream、Facebookも役に立ったとの話。
阪神大震災の経験談があちこちで語られていますが、当時との最大の違いは
情報の伝達力というか手段の幅が広がり、素人でも受発信が簡単になったことだと言われています。

代替試合、行けるものなら行きたいですが(柳澤さんは点を取ってくれると
意気込んでくれていたのに…それだけが惜しいです。本当にいい顔してましたから)
そもそもJのある暮らしがいつ戻ってくるか、カシマスタジアムは損傷しているそうですし。

私もどうにか帰宅できましたが、余震で揺れるたびに心細い独り身。
とはいえ、避難所にいる友人のことを思えば、なんてこともありません。
現在従事している仕事の業界的にも、今後大変な事態がたくさんあるでしょうが、
アーチャーも言ってました、「生きているだけで勝ち組だ」と。

強く生きていきたいです!


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