Land of Riches
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まだ受け取れてません(私信)
某駅ビルの本屋で、光文社・古典新訳文庫『ツァラトゥストラ』上巻を衝動買いしました。 ベストセラー?!『超訳・ニーチェの言葉』すら途中で挫折した私。 手にしたきっかけは、新訳のツァラトゥストラが、自分を「俺」と言うところ。 カジュアルな言葉遣いを心がけた、と帯にありましたが…くだけ過ぎでしょ。
比較のため、前口上だけ岩波文庫版を立ち読みしました(←もちろん「私」)。 岩波文庫版のあとがきによると、ツァラトゥストラかく語りき…には 聖書の文面を意識した描写が多く、よって日本語版の聖書と単語を揃えたそうです。
新訳、途中まで読みましたが、今のところ、さくさく読めてはいます。 でも聖書の知識はない(日本語版の通読経験は一応あり)し、 カジュアル過ぎて、ニーチェの意図するところは把握できなくなっているかと思われます。
ツァラトゥストラは日本語訳たくさん出ています。当然、それぞれ違います。 言ってしまえば、星回りは一つしかないのに、占い師によって解釈が違うようなもの。 読解法はそれぞれの流儀にして正義であります。結局は原典に当たるしかないわけで。 私が西洋占星術をかじるようになったのは、占い師によって解釈が違いすぎるのに イラッとして…だったら、原典にあたるホロスコープを直接読めるようになろう、と。
「俺」と「私」は、今月前半、頭を悩ませたテーマでもあります。 この二つじゃなくて、日本人男性は「僕」だの「わし」だの、バリエーション多数。 使い分けによって、パーソナリティの幅を表現できるような気がして。
自分を俺と言うツァラトゥストラ。勝手に脳内で美形となってます…(笑)
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