Land of Riches


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 2005年12月31日(土)   My Crew UNITY 

乾ききった街で I feel your warmness
戻りたい場所はただ一つ The place called "UNITY"


しのらーくるくる!

…と年末の締めくくりにふさわしい(は?)挨拶で始めてみました、恒例の大晦日企画。
埼スタ第2で中台くんが「くるくる」と言っていたなんて、幻聴ですよきっと、あはは(壊)
(実家のPC中台くんの名字辞書登録してないので、申し訳ないですがこのままいっちゃいます!)

では早速、復習から!(気になる方は上のINDEXから過去記事へどうぞ)

▼2000年
第3位:9人合同運営によるユース代表応援サイト「SeeTheSky」開設
第2位:1週間サッカー漬けの“ソツキ”
第1位:アントラーズと順天堂大学の練習試合…後

▼2001年
第3位:1stステージ・名古屋グランパス vs 鹿島アントラーズ
第2位:チャンピオンシップ・ジュビロ磐田 vs 鹿島アントラーズ
第1位:羽田憲司選手、ワールドユース直前に骨折!!

▼2002年
第3位:ワールドカップ、日本代表予選リーグ突破
第2位:高校選手権3回戦、東福岡/静学
第1位:新横浜駅新幹線改札での遭遇

▼2003年
第3位:サテライトリーグ・ジュビロ磐田 vs 柏レイソル
第2位:永田充選手、超飛び級でフル代表に抜擢!
第1位:ホームタウンへの引っ越し

▼2004年
第3位:3/18・アテネ五輪予選での那須大亮選手のヘッド
第2位:9/18・仙台カップでのU-18日本代表柳澤隼選手のミドルシュート
第1位:9/19・柏レイソル vs FC東京@柏の葉、ホーム側に掲げられた横断幕

LR6年目にして、ついに3つでは足りない事態となりました。予告してきた通り、
レイソルU-18とそれ以外全体から3つずつチョイスしましたので、ご覧下さいませ♪

【レイソルU-18以外

第3位:11/27・U-18日本代表、AFC/U-20選手権1次予選突破@熊本

はっ、北朝鮮戦とロッソvsグルージャ、書く書くと言ってまだ書いてない…(自爆)
しょうがないので、リンクは試合翌日のLRです。とにかく安田くんのゴール。
これに尽きます。引き分け狙いだった監督指示を踏み潰してまで奪った決勝点ですから。

なんでもいいから揺れてほしいと祈っていたゴールネットが豪快に揺らされた瞬間、
涙腺がかーっと熱くなって、その後、スタンドで崩れ落ちてましたよ、私。
柳澤くん「俺も泣きそうでしたよ!」

今年版のHP自己紹介「柳澤隼ファンへの30の質問」で願った通り、U-18代表は
大好きな柳澤くんが、ユーティリティ性とゲームメイク能力とドリブルという必殺武器、
言うなればその全てで中軸を担うチームになってしまいまして(その副作用と言うべきか、
柳澤くんはトップのゲームへ出られるわけでもないのに、レイソルユースを卒業扱いとされ、
今年後半は非常に試合へ餓えた状態に…12月まで、実戦は代表のみでしたから!)
必然的に少しも目を離せず、終わってみれば、3月の静岡合宿以外の国内開催ゲームは
ほとんど見守るはめに…仙台のブラジル戦は秋田@天皇杯1回戦行っちゃいましたけど!

波に乗っている時は見とれるけど、いったん逆風が吹き出すと立て直しが効かない、
それは現時点での柳澤隼選手の個人評価でもあり、そのままU-18代表にも流用できます。
だけど、北朝鮮戦でのみんなは、良いとは思えなかったけど(柳澤くんは、いわく
「俺、調子良くなかったんですよ」)それまでほとんど伝わってこなかった意地を、
彼らの内面を垣間見た心地がしました。いや、U-18代表は熊本直前合宿になってから
突如メンバーの入れ替えを行ったんですから、それまでと一貫視するのは誤りかもしれません。

関西勢はいろいろあって(苦笑)強化日程不参加が多く、どんな選手か分からない人が
多かったんですけど、ボール扱いが巧いのは当たり前にも思えるガンバユースで、
テクニシャンと称される安田くん(5月に発掘したメニコン2002記事でWEST10番として
プレビューで紹介されていたのも彼でした)、北朝鮮戦と、その後のネットサーフィンで
ただ巧いだけでなく、勝利に対するとても強い気持ちを持っていて、そのメンタルが
テクニックのフル活用を引き出している(船山くんみたいな、ただの負けず嫌いとも
ちょっと違う、もう1段階大人の…勝つために戦わなきゃいけないという理解? 自覚?)と
知りました。お陰で、最近ではBlogPetの同居人プロフィールへこっそり名前を書き足す始末。

ガンバユースって、家長様みたく、天才であるがゆえに揺るぎなき振る舞いが
許されるものもいれば、丹羽さんみたいなハートの持ち主がいたり、面白いというか、
さすがは関西屈指のエリートが集うクラブだなと改めて思う次第です。百花繚乱。

あと、何回も言ってますが、ロッソ絡みでもいい思い出作れましたし、熊本最高です!
出会った方もみんな優しかったし、また行きたいですね。今度はロッソメインでしょうか(微笑)

第2位:12/10・柏レイソルJ2降格

降格が決まったのは入れ替え戦第2戦があった12/10ですけど(なので、リンク先は
12/11のLRにしましたが、試合について書いているわけではないです…書く気しませんよ。
今でさえ、ここに突入したらタイプする意欲が激しく減退してまいっているんですから)
確かにダブルハットトリックは話にならない、悔いも未練も残らない惨敗だったわけですが、
あの1試合で負けたから…ではなく、あの試合さえ、スタメンがネット上で流れた時点で
日立台では呆れ果てた、あるいは覚悟を決めた人が少なくなかったのです。言うなれば、
2005年の締めくくりとしてふさわしい、必然の屈辱だったのです。涙も怒りの叫びも出ない…。

HOT6など、浮上を感じさせた時期もなくはなかったのです。まやかしだったのかもしれませんが。
でも、一つ一つの試合、その動きをつかさどるはずの日々の練習、そして公式戦へ
出場できない面々が出るTMなど、今年見た多くのファクターは、降格の事実を裏付けはすれど、
それを予期せぬものとは全く思わせません。来るべくして来た日と言えるでしょう。
1年先延ばしになった…病魔は癌細胞のように柏レイソルを蝕んでいた、と。

私個人としては永田さんの離脱と復活という大きなアップダウンがあったのですが、
復帰後の…ヴェルディ戦を見ていないので、どうしても、帰りを急ぎ過ぎた、
自分を過信してしまった(現状認識が楽観的なのは、あの人の長所でもあり短所でもある)
マイナスイメージしか残っていないのです、今は。年間通算して残ったのがそれかよ、って
我ながら思うんですけど。変な話ですが、もしヴェルディ戦であの大活躍がなかったら…。

いいや、同じか。自動降格か、そうでなかったかぐらいの差しかない、おそらく。

そして、永田さんにはJ1クラブからオファーが届いていると報道されています。
危機察知能力は高い方だから…状況を見据えた末で、どんな判断を下すか、
それは試合中にどんなプレーを選択するかと似たようなものだから、私は、
永田さんが来年どこにいても全くおかしくないと思っています。本人の決断待ち。
ただ、移籍しても、もう一緒に引っ越しとはいきませんけどね…どんな道を選んだにしても
その選択に責任を負うのは本人だから、私は応援するだけですよ。それがファンってものです。

トップチームの勝利を何度も外してしまっている私が、あえてベストゲームを選ぶなら、
厳密にはトップじゃなくなっちゃうんですけど、4/3サテリーグ大宮公園の大逆転劇ですね。
12/10のハーフタイムにも叫んでました。サテライト魂を信じて…監督がそれをもごうとしても。
「お前ら、大宮公園の逆転勝ちを忘れたのか、最後まで諦めずに戦え!」って。

第1位:6/4・羽田憲司選手4年間のリハビリを乗り越えカシマでスタメン出場!!

正直、ここまでの3つ、他の年なら全部1位じゃないかってぐらい甲乙つけがたい
ディープインパクトな出来事なんですけど、あえて順位をつけるなら、やっぱりこれが一番。

上の日付は、私がカシマで羽田さんを見て泣いた日(今年サッカーで泣き過ぎ)であって、
正しい復活戦(5/21セレッソ戦途中出場)ではないのですが…あくまでも
大晦日発表のベスト3は「私にとって忘れられないサッカー関係の出来事ベスト3」なので。

羽田さん本人、リハビリ担当スタッフ、ご家族、お友達―誰の努力と想いが欠けても、
復活の日は訪れなかったと思います。だけど、言っちゃいけないことかもしれないけど、
このカムバックに関しては…神様って本当にいるんだな、って私は感じました。
あ、もちろんジーコじゃなくて!(でもジーコと縁があるチームじゃなかったら、
羽田さんは自分の足を治せるドクターとは巡り会えなかったでしょうから、恩人といえば恩人)

千羽鶴を折ったり、白峯神宮に絵馬を奉納したり―それくらいしかできなかった、
草サッカーでもいいから、もう一度、もう一度、羽田さんに大好きなサッカーを
やらせてあげたいと、切に切に願ってました。走ることさえままならなかった日には。

「No.14、DF、はねだーけんじ!」―ダニーさんのアナウンス。そして試合前のメッセージ。
全てが夢のよう。夢の中でふわふわしていた自分を、公式モバイルサイトでDLしてきた
スタメン発表ファンファーレ&BGMを聴くたびに、はっきりと思い出せます。感激の涙も。

完治したわけではなく、今も足は痛み、練習さえ満足な量はこなせない、それでも、
今の羽田さんは、1年前と違って、れっきとした鹿島アントラーズ所属の、控えCBだから。
アントラーズがユニフォームに10個目の星をゲットできなかったのには、先発した試合、
ほとんど落としてしまっている羽田さんにも十分に責任があります。アントラーズは
羽田さんを待ってくれたチームではあるけど、そういうチームでもありますから。

でも、それは嬉しいこと。プロサッカー選手として生きている、羽田さんは生きている!!

柏在住になって、昔より(金銭的には)鹿嶋は行きやすくなったはずなのに、どうしても
JRのとんでもダイヤ(佐原駅前のコンビニなくなったの痛すぎ)に尻込みしてしまって
心理的には都内在住時代より遠く感じます。だけど来年はもっと行く回数増やしたいです。
blogのAntlersカテゴリも、エルゴラインタビュー記事告知で終わってしまってますし(苦笑)
…あの取材も嬉しかったですね、いろんな意味で。一言「ありがとうございました!」

そろそろユニフォームを買ってあげたら、と周りには言われてます。確かに、
今の14番シャツは、どん底もどん底の1日店長(2年前)で、ワゴンにあったから買ったもの。
待ってますという言葉を告げるにも、どこか空虚さを覚えていた頃のものだから。
10個目の星が入ったユニフォームが欲しかったけど、しょうがない、来年は!(え、宣言?!)
#アントラーズは来年ユニフォームが変わります。



…ふぅ、ここまで書くのに3時間以上かかってます。うーん、これでも書く言葉は
疲労に任せて(自爆)削っているんですけどね。よければあと3つ、お付き合い下さい。

【レイソルU-18】

まずはじめに、このチームだけ別枠扱いになっていることについて(微苦笑)。
一言で書いてしまえば、好き過ぎました。特に3年生が。好き過ぎて、予想通りですが、
日立台納めでちらっと見た新チームに、違和感と寂しさを覚えました。そして、
年が明けないうちから、船山くんが進学先の練習試合へ出てしまっていることにも(苦笑)

3年生とはどうあがいても今年の12月でお別れなのは、1年前の12月に分かっていたので、
今年は1月の新人戦から、とにかく行ける限りのゲームへ足を運びました。たとえば、
そのクラブ新人戦(あれが天皇杯にまでつながっているって、思えば不思議なんですけど)は
トップの鹿児島キャンプに柳澤・船山・大島の3人が借り出されていたから、
私的には“見所”を欠く試合なんですが、それでも見たいと思って、舞浜とか行きました。
この“チーム”を見ておこうと思って―その後もいろいろなんだかんだと誰が抜けた
誰がいないって試合は結構ありましたが、かまわず応援できました。好きだったんだよー!!

でも、もうちょっとBチームの試合も見るようにすれば、なんて思ってたりもします。
自分では頑張ったけど、それでも不十分だったのは、選手名鑑コラボレーション企画で
選手の説明文を担当させていただいて、「○○くんよく知らないから書けない!」と
一部投げ出してしまったことでも自覚できてます。なかなか“チーム”を愛せない奴だから。

クラブユースを見ることは楽しいことばかりじゃない、ピラミッドの一部だからこその
どうしようもならないマイナス感情は発生する…それは宿命、それも学んだ…。

そして、ピラミッドの一部だからこそ、もたらされるプラスの感情もある、と。

第3位:ユースで(も)イエローパワーキャンペーン開催

ある意味では1位、2005年に起こった全ての出来事の中で最も私を動かし、変えた要素です。
イエローパワーキャンペーンの対象はサハラカップのみで、そもそもキャンペーンの名称自体、
トップの試合で柏青年会議所が実施したものを、趣旨が同じだから(!)といって
無断拝借してしまった(おまけに、パクるんだったら、本家のキャンペーンにも
参加しないと、という理由だけでトップ大宮戦へ参戦した私。某さんもそうでしたっけ?
トンデモっぷりですが…サッカー場へ行くのは応援(サポート)ではなく
観戦(自己満足)が目的だと、サッカーファン歴10年で達した価値観が動いたんですから。

何が大きいって、思うばかりで実行には移せないタイプの(このLRもそうだけど、
基本的に私って何をやっても自己完結なんですよ。だから、2004年に一方的発信のみでない
形式であるblogというものを始めたのも、1年前に書いた通り大きな出来事なのです)
私が、何の縁か、とても行動力のあるbloggerさんと出会ったのが大きいです。

思いは、1年前の横河戦に始まって、6月のスーパーアウェー(詳しくは次項)で募り、
8月末の天皇杯の歓喜を経て、秋田への旅があって…ふくらんではいたんです。
自分の中で。でも、それを積極的に発信する気はなかったのです…私は。私は。

気がつくと、引きずられるように試合ごとの告知エントリを立てていたりしてました。
自分に踏み込まれるのが嫌だから、人の行動や心へ踏み込むのは好かない私なのに(苦笑)

「プレジャー通信」のランコさん、「中野太陽会」さん、本当にありがとうございました。

そしてランコさんが作成したキャンペーンページへリンクして下さった皆様、
何より実際に会場へ足を運んで下さった皆様、感謝の想いは筆舌に尽くし難いです。
試合後には観戦された旨を書かれたエントリへ挨拶回りするのが習慣となりましたが、
試合を重ねるにつれ、挨拶回りがなかなか終わらなくなったのが…本当に嬉しかったです。

そして、訳の分からない説明ながら写真掲載の許可を快く下さった船山キャプテンはじめ、
キャンペーンの感想を素直に聞かせてくれた須藤くん、小川くん、大島くんetc.
(いや全部私が聞いたわけじゃないですけど(冷や汗ダラダラ))選手のみんなには
最大限の感謝と、そして、力不足&ご迷惑かけまくりだったのをお詫びしたいと思います。
すみませんでした! 選手のご家族の皆様にも、深く御礼申し上げたいです(一方的にですが)

名鑑を印刷して観戦していらっしゃった方を見かけた時、すごく嬉しかったけれど、
同時に、選手の紹介にもなってない駄文しか添えられない自分へ腹が立ったし、
そんな文を予備知識として観戦された観客と選手の両方へ申し訳なく感じました。

サッカーを言葉で表現するのは難しい、本当に難しいけれど。
私、それがどうしてもやりたくて、ずっとテキスト系サッカーサイトやってるんですから。
自分の書いた文を通して、自分の大好きなものへ興味を持ってもらいたい、って。

最後に…福地くんへ。私(たち?)ももっと頑張るから、福地くんも大学で頑張って!!
福地くんに始まり、福地くんに終わって…また始まりますよ、この“動き”は(にっこり)

第2位:6/19・しんよこフットボールパークでのアウェーの洗礼

今年は嬉しかった・楽しかった試合よりも、悲しかった・寂しかった・むかついた試合が
多かったように思います。他bloggerさんのように、全観戦試合を書き出そうとも思えません。

その中でもマイナスのインパクトが強かったのを選べと言われたら、12/10など
トップは掃いて捨てるほどいっぱい、ユースでも那須@関クラ9決やら最後の養和戦やら
いくつもありますが…他とは違う意味で完敗だった、のちのちまで傷が深く残ったのは、これです。
大事なのは、これ、負け試合じゃないんですよ。勝ってます。ただ、目指していた、
9決回避のための大量得失点差は稼げなかったけれど。試合は…そんな傷が残るものではなく。

負けたのは私、というか…レイソルユースを応援している者として、フロンタサポに
惨敗しました。追われた土手の上、等々力を彷彿とさせる数のサポを動員したきっかけは、
あるフロンターレ下部組織サイトの方だと知って、尚更、気持ちは落ち込みました。

それでも、このゲームはアウェーゲームだったんですよ。だから、足を運んで下さった
blogger様(当日全員把握してご挨拶できなかったのが今でも悔やまれます)には
すごくすごく感謝しているし…うだうだと考えた末に、レイソルユースにホームゲームは、
ホームアドバンテージはあるのかって自問自答して、答えは「ない」って。悲しすぎる結論。

そして、できることはあるのかって思って…次項の歓喜があって、できることは
あるんじゃないかって錯覚、錯覚で十分だった、思えて。黄色くなろうって。
声は出せなくても、レイソルを見に来てるんだよって伝えられる、そう考えたんです。

…レイソルユースのベスト3(BEST?)は、それぞれ密接につながってますね。
というか、1つのチームを追い掛けた、それ自体が1つの出来事であって、細かく
切れ切れにすることはできない、そう思います。そうだ、なんか秋以降は、やたら
ユニクロで黄色い服を買いましたよ、私(笑) でも、それもまだ半端な勇気なんですよね(苦笑)



さて、第1位を書いて最終更新としようと思ったら「原稿用紙20枚以内で」という
エラーが出てきて、消されてしまいました。ショックはショックなんですが、
20枚って何ですか…とも思いますので、続きはblogにて書かせていただきます。
(今までこんなエラー出たことないですよ!)


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