Land of Riches
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2004年11月06日(土) |
なんでも書くクセをつけよう |
明日は(特に試合前が)いろいろやることあるから、忘れないようにしないと!
私にとって一番大切なこと、それは私の心が晴れやかであること。 もし、それに試合の勝ち負けが関係あるのなら、私は勝ってほしいと望みます。
人生振り返ったら、得たものよりなくしたものの方が多いのかもしれない、 でも、今、とりあえず手にしているというか、しがみついているものは愛おしいから、 何が何でもくらいついてやろう、と思ってはいるだけです。思うだけですけどね。
----- 久しぶりに(殴)Mさんのサイトへお邪魔したら、日記以外のページまで黒地に 黄文字となっていて、ひっくりかえりそうになりました。…ううっ、うちより はるかに「某Jリーグ選手&チーム」への愛を感じます。頑張れよ某ドリブラー!!
六実は野田線の車内から眺めたことがあるだけです。岩槻も同じ。岩槻は、 ホムペなどで見る限りはほのぼのしてていい街っぽいので、是非とも実地取材(?!)をして、 雰囲気を把握した上で書いてみたい、と思っています。某嬢は岩槻市民(という設定)なので、 やっぱり柏や松戸へ出しゃばらせるよりは、岩槻で何かした方が自然だと思うし。 …菅沼さんに「岩槻のいいところ教えて下さ〜い!」って聞こうかな?(やめなさい)
東京の達城正哉クン(仮名。まだしっくりくる名前が見つからない)との話も もうこのネタはいただいて書くしかないでしょ、と思ってから、はや数ヶ月(死)
そうだ…前から気になってたんですけど、新松戸で家賃が月18万もする部屋の 間取りはどんなもんですか? 情熱大陸を見る限り、レイソルのエースアタッカーでさえ とてもそんな高い部屋には住んでいなさそうなんですが(苦笑)それで独り暮らしでしょ? 独身時代から2LDKに住んでいる平山智規さんのようですわ…(謎微笑)
----- こんなこと書くと読んでる人は不快感を催すんでしょうか(苦笑)―今日の感想は、 私ってどうしようもなく永田充が好きなんだなって…結構ほこほこして帰ってきました。
たまたま、お会いしなければいけない方が複数いて、それで開始30分前出発 5分前到着という普段は人に殴られそうなスケジューリングで動く私が、 珍しく開門前に家を出て…早めに着きました。後援会のレイソルくじを放り込むと、 2ndゲーム恒例の缶バッチの抽選。最初はハズレを引いたんですが、係のおじさんに 「見なかったことにしてあげる」と言われ、もう一度。いや、あのおじさん、 実質的に先着100名へプレゼントになるよう、前の人なんか3回も引かせてたけど(^^;
「当たり」と言われて、裏向きで渡されたバッチをひっくり返したら、そこにいたのは MITSURU NAGATA。幸先いいじゃない、と思う私へおじさんいわく「募金もよろしく」
同じテーブルに置かれた、くじ投入用の黄色い箱よりもかなり大きな白い箱。 そこにもたれかかる小峯さんと、後ろに立っている望さん。全選手参加とあって、 前夜に“プランニング”していた私は、自分の読みが外れているのを悟らされました。
3つあるゲートの1つに2人しかいない、ということは、途中で交代するんだ。 観念して財布を開けました。「チケット代ひねり出すのも大変だったのに」とか言いながら。
予定を変更して、とにかくウロウロするはめになりました。先にベテラン選手、 後から若手(スタジアムの入口からぞろぞろと出てきたスーツの一団は カッコイイを通り越して、なんて言いますか、体育会系の集団って……)。
最初から決めてたんですよ。菅沼さんが集めてる箱に1000円、あと、聡太さんにも。 後者の1000円は、できるならこの前カシスタで羽田さんの持ってる箱に入れたかったもの。 私にとって、やっぱり中澤聡太はそういう人―過去と現在をつなぐ唯一の接点だから。
二人ともお札に過剰反応してくれたけど、別にそれが欲しくて入れたわけじゃなくて、 今までコンビニでお釣りを募金箱へ1回入れただけの自分が結構嫌で、今回の募金は そんな自分を吹っ切れさせてくれたというか…地震の日に書きましたけど、 私は今年の夏に新潟へ行き、その時は水害で苦しんでいる中越の人とつながりのある人 (新潟国際自体は開催地域が違うので)と会って話をした、そう、あの時も ものすごく大変な目に遭っただろう人たちが、またしても苦しめられている。 それに役に立てるなら、たとえ選手への歪んだ愛経由でも、いいんだ、と思ってます。
私は、愛情が歪んでるんじゃなくて、シンパシーそのものが歪んでるんだな(自嘲)
試合でまずさせられたことは、清商時代からの大悟さん好きな身内の皆様へ メールを送ることでした。それくらい、久々に見た…そう、それこそWY以来と 言ってしまってもいいくらいのインターバルを経て見た、緑の8番の凄まじさ。
やぶさんの前で「今の見ました?」Sさん風やりたいです。 帰ってきたうちの1通です(すみません勝手に載せて)今日はALがwebで買えなくて ARだったんですが、その席が前の方で、7月のナビスコ鹿島戦に酷似の位置。 あの日、エンジの25番“笠間の王様”に、ゲームインプレッションの85%を 刻み付けられたレイソル的にはnightmareを思い出させられました。すみません、 もうおなかいっぱいです、勘弁して下さいお代官様…気分でした(−−;
コバヤシさん現在絶好調ですから…(^-^) もう1通(すみませんすみません)いわく、運動量、ゴールへの意識、自信が オジーに目をかけられて大きく伸びた、と。飯尾さん(私は20番のシュートが 南さんにはじき出された時「チビ惜しい」と口走ってました!!)や三浦(淳)さんを見ると どのチームでもそうであるように、所属全選手が幸福であることはできないのが Jリーグクラブ(なぜなら試合には11人しか出れないのに、クラブにはもっと多くの 選手が在籍していなければならないから)の宿命ですが、ただ、大悟さんにとって オジーは小林大悟というプレーヤーのMAX自体を大幅にUPさせたし、また、 その能力を100%発揮できる位置に据えてもらえることが、すごくプラスになってます。
大悟さんの試合後のコメント。 「ボランチ3枚(小林慶、平野)とのコンビはコバさんがバランス取ってくれるので 前でやれているというのがある。高い位置でもらっていい形でカウンターに移れた」 その通りで、大悟さんが持てる力をフルに使ってゲームメイクできるのも、 しっかり支えてくれる年長のボランチがそばにいたから。本当、今の彼は幸せ者です。
体つき自体も良くなった気がする、何より、その身を包むオーラがどっしりと 強く濃いものになってました。俺がこのチームのゲームを創っていくんだ、という 強い自負と確たる自信。それがもともと広い視野からたくさんの守備の裏を取る イメージを沸き起こらせ、また、好調による体のキレが、通常なら難しい体勢での キープやらパスやらリターンやらを可能にして…その持てる想像力の全てを 創造力へと変換し、実際にピッチ上で具現化させているのだと感じました。
メールを出そうと思った直接のきっかけは、中央からゴール前へ通った鋭い浮き球。 ストレートボールに触れたのは永田さんでしたが、それはあやうくゴールへと 吸い込まれそうになりました。そうです、もう永田さんが大悟さんのパスを 受けてはならない立場になってから、1年近くが過ぎようとしているのです。
ワールドユースから。
柏のイヤーブック巻頭を飾ったYOUNG GUNSは、いずれも前代の大熊JAPANの選手。 「それに比べて、永田や近藤はどれだけ伸びたかと思うと」と悲しくなった私に 戻ってきたメールで、清商贔屓さんは「永田も近藤も伸びてると思いますよ。 チーム状態に引きずられてますけど…」とおっしゃって下さったのでした。
角田さんや、菊地さんや、成岡さんの姿がぱぱっと脳裏をよぎりました。 あのチームが好きだったと、今更。でも、飯尾さんを見て切なくなったように、 どんな形であれ誰にも等しく時は流れていて…選手はユース代表の頃より “幸福”だったり“不幸”だったり、ともかく様々な経験を積んで、昔とは 同じ彼ではなくなっているのです。当たり前。私がスタジアムでは、唯一、 WY直後に“時計が止まってしまった”と例外的例外として泣きたい気分になった もう3年以上試合に出ていない羽田さんでさえ、あの頃の羽田さんではないんです。
羽田さんにも3年の歳月が流れ、その間、サッカーをしていたわけではないけれど、 いろいろなことがあって、羽田さんは、伸びた、とは違うかもしれないけど、変わっている。
シーズンを通すと猫の目のようにくるくる変わるバックラインに立ち続ける永田さん。 適性がないと公言しながらも、毎日、居残り練習で必死にSBになろうとしている近藤さん。 左SBが(どれだけ守備専従にしても)難しいポジションなのは、私、知ってるはず。
どこが変わってないと言うんだ?
試合の中で“寝てしまう時間がある悪癖”は変わらない。まだ直ってない。 だけど…後半、目が覚めたようにボールを取りに行く(逆に言えば、前半は かなりウォッチャーだったということだろうな)永田さんを、最終的には 前へ出る機会さえ何度もあった―永田さんが一番得意なプレーはロングフィードだけど このチームでは使う場所がないんだ仕方ないんだよ―姿を見て、そうだ、試合後の 挨拶まで見て、改めて、レイソルって明神さんがキャプテンで、永田さんが 副キャプテンなんだと思いました。今更。遅いよ!…私は今日でホーム最終戦。
大悟さんに上記のパスを通された時点で悔しさもなく(私はポゼッションサッカーが 好きだから…少なくともかつて私が好きになった時点でのアントラーズと ジュビロはそういうサッカーでした。今のヴェルディはいいんだけど勝てないと 言われていた頃のジュビロと重なります)『中盤制圧』という横断幕が似合う 圧倒的な保持率の差も予想の範囲内でしたが、ただ、レイソルは、じゃあ、 それに対してどういうサッカーをするのかというプランニングが全くありませんでした。
スタメンの名前を見るだけで、なんとなく試合展開が想像できるぐらいには 私だってレイソルを見ているのです―しかし、玉田さんが味方に出しても どうせボールロストだからと何人に囲まれようがつっかけていく凄惨なドリブルにさえ 見慣れつつあった私ですが、まさか永田さんを見て同じ気分を味わうとは ちょっと予測を超えていました。まだ、攻撃は1人でなんとかなる部分もある (玉田さんのように圧倒的技量を持っていることが前提で)けど、守備は無理。
何度見ただろう、両手を腰に当て、その全身から苛立ちのオーラを爆発させていた 玉田さんの立ち姿を。そして、顔には出さないけど、チームの後方で味方を眺める 永田さんだって、かなりいたたまれない気持ちになっているはずなんだ…。
相手選手が、永田さんの守る左側へ侵入してきて、右側後方のスペースを どうにかしなきゃと思いつつも、チャカは前に出たところで、泣きそうな目線で そのスペースを眺める永田さんの横顔を見た時、ARなのを心底恨みました。 他の席だったら、そんな表情見えなかっただろうに。そのスペースへ、どうにか 無理やり下がってきてくれたのはCMFに入った祐三さんでした。あいもかわらず 噛み合わない二人のCBに、近藤さんと祐三さんは染みついたCB的本能に従った、 本来のポジションではちょっとおかしな位置取りを随分としていました。
永田さんの目線―使われるのが好きな近藤さんとは組みやすいんだ。 それは知識として知ってる、あまり感情的には嬉しいことではないけれど…私情では。 でも、永田さんにとって信頼に値するパートナーなら、それで十分だ。
ありえないだろ、同じ色のユニフォームを着ている味方を信じられないなんて。 玉田さんのそれは、まだ過信かもしれない(もう無理だよ、そうやって自分を 騙すのはさ…)んだけど。敵が…ある指導者の手によって、組織として洗練された 1個の有機体を構成する11人だけじゃなく、何人いるんだよ、相手しなきゃいけない奴。
味方じゃない奴は全員敵だ。スタンドに座ってる奴もそうだ。じゃ、私も敵、だな…?
守備よりも攻撃で持ち味を…気持ちを感じるCBなんだってことを、私もそろそろ 諦めて受け入れた方がいい。私は、後半、もう試合の展開―勝敗自体は放棄して、 ただひたすら、永田さんや、他の選手のプレーから気持ちを感じられた刹那を 必死になって集めてました。途中で腹くくりましたよ。私は、砕けた自分の心を、 パッチワークのようにでも縫い直して国立へ行くから、あなたたちも…一つ一つの、 小さなプレーで見せてくれた気持ちを、もう一度繕って、自分を、味方を信じて、 また国立で逢いましょう、って。これは…永田さんを通して、初めて柏レイソルという それまでどちらかといえば好きではなかったチームと直面することになった私へ、 2002年の秋にSさんがくれた言葉「レイソルの選手は味方を信じることから 始めなきゃいけない」ってのと、全く変わってないんですよ。あーあ、って。
変わったもの、変わらないもの、その一つ一つの時のかけら―時間がたてば 「歴史」と呼ばれるようになる一瞬一瞬の光景を、私は探しに試合へ行くのです。
何度サッカーで心砕けたか分からない、でも、誰かが、何かがそれを縫い直して 新しい世界の扉を開けてくれたから、今の私がいる。だから、好きで、大切な人。
「チャカ!」 たまたま聞こえたのは、キープするチャカへボールを要求するつややかな低音。 戦場という場にそぐわない響き。でも、試合中にも何度も思ったのです…。 もっと、ここに、自分がいると、ナガタミツルはここにいると、そのプレーで、 全身で叫べと。声を出すことばかりが叫びじゃないんだ、誰が相手だからって 遠慮することはない、味方は自分の思い描くサッカーのために利用したっていいんだ、 だから、ロングキック蹴るなら自分が一番だと思うなら、蹴ればいい。 拾えない味方が悪いなら、そう味方が思えるまで、絶妙の場所へ蹴れ。
大野さんは、何度絶妙のスペースへボールを落とし、それをヴェルディのプレスに みすみす渡していたか。でもいいんだ、誰が悪いと叫ぶ一つの方法だから、それだって。
「敵」を味方にする作業が必要ならば、それをやるしかないだろう?
悔しさも怒りもなく、ハーフタイムには空虚に押しつぶされそうになった心も、 早速バッチを止めたチケットホルダーと―今でもその中で一番前面に出てるのは U-20時代の羽田さんの代表カードだったり―タオマフを握りしめて、 ただ、拾い集めた感情と、沸き起こる小さな何かを必死にピックしてました。
そして、最後に残ったのは、やっぱりこの人が好きだという気持ちでした。 それだけだから。この試合は、私にとってそういう確認作業だったんだ、と。
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