Land of Riches


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 2004年07月16日(金)   上書き保存 

#あえて何も見ないで、誰にも聞かないで書いてみます。間違って…どこか
#事実とは異なる点があるかもしれません。でも、もしそうだとしたら、
#誤り自体ではなく、そう記憶が書き換えられていること自体に意味があるのです。

2001年5月、熱海の少し山の中。心まで覆わんばかりだった霧も晴れ、初夏の日差しが
イレブンを照らしていました。私たちの入る見学スタンドのすぐ下に、1人分ずつ
きちっと畳まれた代表ユニフォームが、背番号1から整然と並べられていました。

20番の次に、番号の入っていないユニフォームがありました。その“意味”から
私は目をそむけようとしました。集合写真を撮るというので、やって来た選手達は
そのユニフォームへ袖を通しました。誰が何番を着るか―その後の記憶は
どうもハッキリしません。プチレポにその時の出来事がいくつかありますけど。

唯一覚えているのは、当然ながら5番のユニフォーム(フィールド用)があって、私は、
それを誰がまとうか…誰も着るな、誰も着るんじゃない、とっておけ、と
強く強く強く強く、呆れるぐらい強く願っていました。それは他の誰の物でもない、と。

誰にも渡さない、帰ってくるんだから。

誰にも。

その、醜くて、粘っこいにも程がある…けれど、当時の私にとっては、
どれだけ歪んでいて負のエネルギーだろうと、“それ”によって生かされていた、
熱海にまで繰り出していた、強烈な執着の対象だったのです。まさに精神病。

狂ったように鶴を折って。

高い代償を今でも払わされてます。貴章さんが世界大会を目前にして負傷した時は、
お陰で、2年前とは全く正反対の感情を抱くことに“成功”しました。

何の因果関係もないと言われるだろうし、そうだろうとは分かっているし、
信じたがってもいますが、あの頃、1ヶ月での奇跡の復活を願った私は、
その無理が祟って長期離脱を強いられている“現実”へ、責任を感じているのです。

自責の念から逃れられないのです。罪悪感が襲い掛かってくるのです。

2004-7-17 wrote


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