Land of Riches
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2003年12月23日(火) |
早大・渡辺康幸コーチですって?! |
箱根駅伝は関東の大学しか出られず、しかも駅伝にしては1区間の距離が やたら長い(ほとんどハーフマラソン。よって練習ではマラソン並みの 距離を走りこむことが求められる)何かおかしな大会ですが、年末年始の 風物詩にして一大イベントゆえに、本屋では新撰組並みに関連書籍が並びます。 そこで知った事実―サッカーよりも野球よりも先に触れた世界の人、他競技よりは 現役の期間は長いけれども、この人もセカンドキャリア突入なのかと。
市内の本屋を虱潰しに探索しても見つからなかったサッカークリニックが、 東京駅構内の大きくもない書店であっさり発見(しかも2冊も)できたのには 拍子抜けというか、いやはや。巻頭特集は日本では育たないといわれて久しい ストライカーの育成で、最初に静学の井田監督のインタビューがあって (谷澤さんを学園出身のFWとして紹介されるのは著しい違和感が) 続いて現役選手を代表して深井・貴章の凸凹コンビのインタビューでした。 これが読みたかったんですけど、クリニックの読者層へ訴求できる対象なのかは 私には少々疑問です(苦笑)それはさておき、面白かったですよ、結構。
今をときめく(微笑)深井さんの武器といえばドリブル。そういえば前回の天皇杯、 私は長良川へ来た深井さんへ鹿島サポへ見てほしい点を尋ねたところ、 「ドリブルからのシュート」と答えてくれました。今ではそのプレーは 絶大な支持を受けているわけですが―たとえ1%でも可能性があったら シュートを打つ、というのはFWにはよくある回答ですが、印象的だったのは 大学時代、あまり下がってきてボールを触るなと言われたらしく、今でも それを心掛けているという話。最前線でボールが回ってこないといらついて 必要以上に下がってきてボールを受ける選手が多いのですが、下がったところでは ボールを触れてもゴールは遠く、またマイボールを失った時には前で失う以上に より簡単にピンチへつながってしまうといいことなしだからです。
深井さんは声をかけた時、こちらが何か言う前から「お疲れ様です」と 爽やかに挨拶してくれたのが、あの時非常に好感度をアップさせたものです。
貴章さんはキャリアの少なくない時間をDF(SB)として過ごしているだけに、 深井さんに比べるとゴールへの執着心(井田監督はストライカーは芸術家と同じ 特殊な才能が最も必要な要素といっていましたが、確かにそうだと思います)でなく フォア・ザ・チームを強調しているのが気になりました。なんといっても、 ボールチェイスをおもしろいと言うのですから。普段はあまり話題にされませんが 彼はジュビロSS浜北の出身で、当時トップの試合で中山隊長のチェイスを 見る機会が多かったらしく、それで感化されてしまったようです。
サッカーを始めてから決してうまくいっていたわけではなく、何度も何度も やめようとしては“途中でやめるのはかっこ悪い”と踏ん張った貴章さん。 浜北で同学年のみの大会でもあまり出番がなく、ふとしたことで呼ばれた U-15代表が大きな転機となったのは知られてますが(いわく、一度呼ばれると そのハイレベルな環境が忘れられなくなるそうで、田嶋ジャパンへ入った時は かなり嬉しかったようです)ほとんど戦術に関する指導はなく、個人技術ばかりを 仕込まれた(ジュビロの下部組織の本来のカラーはこれらしいんですが、 今では変質して昔の伝統を残すのは沼津だけだという噂)とか、珍しく(?) 中学時代の話が多いと思いました。でも中学から帰ってまたグラウンドまで 出かけてサッカー、というのが嫌だったそうで、高校では高校生活として サッカーをしたくて浜名高へ行ったのだとか。いわく、もし中学が部活だったら 高校はクラブを選んでいたかも、とのこと。レイソルを選んだのは、やはり 出番が得やすそうだったからのようで。ここから先の壁にぶつかっているのが、 今の貴章さんなのです。本人もしっかり自覚しているようですけど。
貴章さんがReysol o'leへ電話出演すると分かっていたら、今日も丸ビルへ 寄り道なんてしないですぐに帰ってくるのに。まだこのラジオは聴いたことないです。 でも丸ビルのB1で売っているテイクアウトOKのスープはおいしかったですよ。
天皇杯準決勝、存分に鹿島寄りで見るべくチケットを取ったのですが、 家事を溜め込んでしまったのと(…)都内への所要時間をなめきっていたので (どこへ行くにも路線検索が必須です。地下鉄が複雑に相互乗り入れしているのが 状況を複雑にしています)キックオフに間に合いませんでした。最悪です。
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