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孤独に苛まれるのは、生きている実感が得られないのは、他人の存在を感じられないから。 「H」をゲットして帰宅しました。終電の1本前に。何をしてたか? U-20の日韓戦を ネット中継で見ていたからです。我が家のスペック不足マシン&ナローバンド回線では もちろん無理なので、職場からネカフェへ直行しました。試合開始までは、近くにある 飛行場の影響を受けてまともに映らない我が家のテレビ@地上波よりもずっと綺麗だと 感心していたのですが、甘くありませんでした。度重なる切断に悩まされつつ、 割とクリアな音声付の紙芝居を堪能しました。よって、よく分からず、語れません。 ここに来て左サイドへ入ってきた山岸さんが目立っていたこと、逆に右サイドが おとなしかったこと、ボランチはやはりアジアユースコンビが安定しているように 思ったこと、オフェンスの層の薄さを痛感したこと、特に決定力がないこと、 最後尾の川島さんは頼もしいこと、守備陣はサイドをえぐられてピンチを量産し 不安を募らせたことなどなど―全ての印象は不安定で、事実とは限らないのです。 菊地さんの髪が爆発していたのには、びっくりしましたが。 その菊地さんと角田さんが二人でスライディングに行っても奪えず、近藤直也さんが カバーに入ったシーンなどは胸が痛くなりました。永田さんは出番なかったのですが…。 何より、大熊監督の声がだんだん聞こえなくなったのが、試合の流れを象徴しているように 思いました。客席からの黄色い悲鳴に混じって聞こえた、左サイドの攻防戦の合間の 「負けんな、負けんな!」という叫びは、誰のものだったのでしょうか? >この度FC東京では、増嶋竜也選手(市立船橋高等学校)の来季新加入を内定 >いたしましたのでお知らせ致します。尚、プロフィールは下記のとおりです。 >□増嶋竜也(ますしま たつや)選手 >【ポジション】DF >【生年月日】1985年4月22日(18才) >【出 身】千葉県 >【身長/体重】179cm/68kg >【血 液 型】B型 >□経 歴 >2004年 市立船橋高等学校卒業予定 >2001年(1年時)インターハイ優勝/優秀選手 >2002年(2年時)U-17日本代表(新潟国際ユース出場) > 千葉県選抜(よさこい高知国体優勝) > 全国高校サッカー選手権大会 優勝/優秀選手 >2003年(3年時)インターハイベスト4/優秀選手 > 高円宮杯第14回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会優勝 > U-18日本代表 >□アピールポイント >1対1、予測能力、ヘディングとDFとしての能力を全て兼ね備えたプレーヤー。 >フィードも良く、得点感覚にも優れ、将来の日本サッカーの中心選手として期待される。 正直、この頃は待ちわびた感もある最終宣告が下されました。輝かしき経歴を持つ 彼は千葉の生浜(これがちょっと前まで読めなかったのさ)中の出身です。若手が 活躍するチームを見て惹かれたようですが、まず細い身体をどうにかしてほしいと 思ってしまいます、「リハビリルームの会長(中田浩二さん談)」なんかしてる 先輩の姿を見ていると。聡太さんは随分と体つきは良くなったようですが…。 >ヤクルトの伊藤智仁投手(33)が29日、現役引退を表明した。3度の右肩手術と、 >その後のリハビリ期間など故障との長い闘いを繰り返した経験を生かし、今後は >ファームの育成コーチに就任する。93年、ドラフト1位で三菱自動車京都から入団。 >高速スライダーを武器に93年に新人王、97年にはカムバック賞を受賞。 こちらも覚悟していたような…岡林さんと全く同じ道を歩くのですね。私は京都へ 帰って家を継ぐのかと思ってました。分かっていても打てなかった、「神様仏様稲尾様」と 呼ばれる人と同じ、伝説扱いされたスライダー。1年目が一番輝いている、という ルーキーイヤーに「プロ野球ai」へ載った不吉な占いは、結局覆せなかったのですが。 大人になるということは、経験を積んで予測がしやすくなること―覚悟を決めて、 おのれが傷つくのを回避すること。過去から未来を見つけ出し沈み込む自分が嫌い。 Second Half 2003 10 30 wrote
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