Land of Riches


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 2003年10月16日(木)   the greatest happiness of the greatest number 

我々が何をしなければならないかということを指示し、また我々が何を
するであろうかということを決定するのは、ただ苦痛と快楽だけである。
(ベンサム)

功利主義が正しい行為の基準とするのは、行為者個人の幸福ではなく、
関係者全部の幸福なのである。
(J.S.ミル)

六花亭のバターサンドとキャラメルコーンのフォンデュショコラ(これって、そのままの
ネーミングだと今、気づきました(汗))が美味しかったので、私は幸せです…ダメ?

生きること自体に必死になりたい、という願望が前々からあって―1日を終えた時、
生きてて良かったと実感できるような暮らしを送りたいと思ってました。
現実は、朝起きて「早く今日1日(特に仕事の時間)が終わらないかな」と思うばかり。
疲れて帰ってこれば、眠気ばかりが襲ってきて、本当にやりたいことが何も
できなくて…やりたいことを仕事にしなかった以上は、ここでやるしかないのに。

だから、踏ん切りをつけるためのモーションを本格的に開始しました。夏あたりから、
仕事の合間にサッカーを見るべく遠征するという生活パターン自体に懐疑的になって、
家庭も職場もまさにぬるま湯、そんな自分へ鞭を打つために―そう、手紙で宣言しました。

―3年前、Jヴィレッジのロビーで口走った、あの言葉のように。

あの頃、ソラミナの担当ページを構成するために雑誌を今以上にバシバシと買っていて
(ここ最近も些細なことで買いすぎですが)その金銭的負担に喘いでいたのですが、
今となっては、それでも完璧には買い揃えられなかった自分が恨めしくなります。
たとえば、手元に当時絶大なインパクトのあった飯尾&寿人の「yeah!」はありません。

羽田さんが例のミーティングについて語っているサカマガ…のドアップ写真は、
Rさんが居酒屋でばっと広げてみせて下さって、私が壊れて指紋をつけまくったがために、
保存には適さないと判断されて、下さったものだったりします。そのページで
彼が語った言葉は、決してたいした内容ではなく―そもそも、彼にキャプテンシー、
あるいはリーダーシップなんてものはあったのか、今でも疑問です。当時、それでも
彼が腕章を巻くことへ異常に執着していました(少なくとも私の中では、彼は不動の、
まさに揺るぐことのないキャプテンでした)し、彼はそれなりにまとめていたと
思うのですが、でも、彼はどこか空気のようでもありました。むしろ、現在の私へ
遺されている観点からすると、私は彼をDFリーダーと見なしていたのではないでしょうか?

アジアの壁へ挑む前、そして世界大会への準備段階で、彼らはまともな試合をしていたかと
反芻しましたが、香港でのブラジル戦は例外でしょう。あの頃も、彼はどちらかといえば
しょうもない試合ばかりしていました。でも、あの頃、彼らをつまらないと思ったり、
見捨てたりしたいとは思いませんでした、少しも。私の場合は、当時好きだった選手が
現在では代表を離脱しているので、それを加味せねばなりませんが、それにしても、
今の彼らはつまらなすぎます。羽田憲司というDFが幻想の中でのみ語られるうちに
美化され、とんでもないCBだったように言われるのには、空しさを覚えつつも、
もう慣れてしまっているのですが、まさか、腕章を巻く者としての彼まで…。

いつでも、過去は美しい。どんな瞬間でも、現在より過去は素晴らしいもの、だけれども。
想起は、基本的には何の役にも立たないのです、今この瞬間と、未来を生きるためには。

今日もオブラートを買ってくるのを忘れました。風邪は悪化の一方な気がします。
こんな時だからこそ、這ってでも西京極へ行きたいのですが―最後は気持ち、と
すっぱり言い切った彼を見るべく、彼のカードをゲットすべく(笑)

いらないものを「湖底に沈める」という表現を、滋賀県出身の上司がして、
滋賀県民にとっては、湖を用いる表現は自然なんだな、と妙に感心しました。

…あと1ヶ月。


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