Land of Riches


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 2003年10月12日(日)   CHANGE-OVER 

頭が痛い、だるい、気持ち悪い、咳が止まらない…。

気がつくと夜です。眠りが癒しなのか、私にはよく分からない(夢や幻覚見るし…。
ついに眠る“前”にExcelシートが増殖して襲い掛かってくる幻覚に苛まれた時は
心底自分は駄目だと思いました)のですが、その眠りに陥るまですら、集中が
自分の肉体ぐらいにしか及ばなくなるせいで、やたら咳き込むはめになり、昨夜は
とうとう吐きました。血じゃなくて胃液を。胃液を二度吐き、三度目には吐くものがなく
げっぷを吐き、四回目にはそれすら吐けなくて吐く動作だけを身体はして。
薬でもトルマリンでものど飴でもマイナスイオンでもビーズクッションでもいい、
なんでもいいから癒してほしいとさまよう自分は、外へ出歩ける体調でもないのに
ハンズやLoftで癒しグッズを求めてウロウロする昼間と何ら変わらなくて。
つまり、私は自分の全てを委ねられる何かを探しているのです。それは宗教かもしれないと
図書館で仏教関係の本を物色したりもして。四六時中、隣り合わせでいる不安を
手なずけるために、エチカやら定義集やら紋切り型辞典やら悪魔の辞典やら、
何かを定義付けることに挑んだ先人たちの著書を求めて、読んでは違うとぼやいて。

大好きなミスチルを聞いても、サッカーの試合を見ても、ネットサーフィンしても、
ちっとも癒されはしない、ただ頭が痛く、苦しくなるだけ。でもやめられない。

ここ最近、嬉しかったことなんてあるんだろうか?―代表選出ぐらい? あれは
嬉しかったうちに入るのか? 百歩譲って入るとしても、私は近頃「安心」やら
「安堵」やらいう概念と無縁で暮らしている…どこへ行って何をしても孤独。
自分がしたいと思ってしていることをしている最中ですら、lonelyだという
感覚から…不安から逃れられないのです。だって、今そこにいるもの、私が見たいと
願っている対象―たとえば明日の午後なら増嶋くん―は、私が過去に欲しいと願って
手に入れられなかったものの代償でしかなくて、そのものではないから。

自分が好きなものに似ているものを見つけるのが得意になる、と言っていたのは芥川竜之介?

ああ、ダメだ…今、無理やり、本当、強引にキーを叩いているのに、ついさっきまで
頭の中でグルグルしていたこと、そう、LRへ書こうと思って考えていたことが、
半分以上ロストしています。オマージュ、という単語を思い出すのにも10分以上かかって。

本当にダメなのかもなあ…あたし。こんな状態では手紙なんか書けるはずもなく、
迷いに迷って買ったコスモス―私の大好きな花の便箋が、机の上へ散乱していて、
床には図書館で借りてきた本と雑誌と薬とのど飴と携帯電話がちらばってて、
部屋の片隅には何日も放置している洗濯物が山積みで。時間が止まったような、
でもブラウザ越しに見る“世間”は怒涛のごとく進んでいて、一人取り残された
侘しさだけが私を苛む…一人ぼっちだと嘆き続ける、そうしている間にも秒針は回って。

>03年度サッカー界の“ドラ1”、市立船橋DF増島(3年)が進路を決断。
>「(U-18)代表が終わったら、監督に話して、その後、クラブに伝えます。
>選手権にはすっきり参加したい。心は1つ? はい」
>最有力クラブは、練習参加で好感触のFC東京。
>19日開幕のU-20アジア選手権予選後に正式発表となる。 (サンスポ)

ドラ1、ってドラフト1位(野球用語。というか、逆指名が広まっている野球界ですら
あんまり使わなくなっているような気がする単語)のことですよね…昔はドラフトといえば
自分の人生を自分で決められない許し難い儀式として憎悪を燃やしていた対象で、
特に「外れ1位」という言葉が大嫌いでした。増嶋くんがドラ1なら、吉弘くんか
松下くんあたりがそうなるのかな?(小林くんは別のドラ1)外れ1位だって、
ドラ1には変わりないし、そもそも天下のICHIROに代表されるように、指名順位なんか
選手の価値とは関係ないんだって、何度も何度も叫んでいたような。叫びたかったから。
…叫ぶ気力があったから。

言葉を発するのは、自分でない他人に何かを伝えるため(自分の中で完結させるのは
簡単…だから創作小説だって即座に、かつ容易に完結する)のはず。運命なんて
虚構あるいは思い込みと先哲たちは口を揃えるけれど、移ろいゆく世界の有り様を
そのまま受け入れることを拒む者は、叫ぶはずです。または、他者が作った秩序を。
自らが是とする秩序を他者へ受け入れさせるために、人は叫び、語るのです。

だから、中田ヒデさんや俊哉さんがフル代表のコミュニケーションロスぶりを
嘆くのは、この上ない心配です。永田さん云々より更に上の。もちろん、誰かと
意思疎通をするのは、何もしない(あるがままを受け入れる)よりも、はるかに
エネルギーを必要とすることですが。だから、私は叫ぶ選手が好きなのかもしれません。
自分にはできなかったり、不得手だったりすることだから。自分の思う方向へ
周囲(チーム)を導こうとする力、それはプレーそのものとは直接関係ないかも
しれないけれど、サッカーというスポーツには必要とされる能力だと思うから。

…幻想の中ではなく、この世界で、生きている実感、信じられる感触が欲しいです。


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