Land of Riches


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 2003年04月22日(火)   衝撃 

トークショーの代金4000円の内訳は結局、最後の最後まで分からなくて
(3人の携帯ストラップをプレゼントしてくれるんだと知ってたら、試合前にショップで
迷わず20番を買っていたのに…落選者用イヤーブック&BLUE LABELに関しては、
聡太さんが私に弁当箱をくれたのを恨むのは筋違いなので、何も言えませんけれど(微苦笑))
食事でバッチリもとを取るつもりでした。でも、出てきたのはパスタの山やら
サンドイッチの束やら。カーボローディングの必要などない私は、しょうがないので
メロンとイチゴを食べ続けてました。食べるものがなくて困っている人も結構いました。

…選手が一人ずつ紹介されて入ってきたのですが、手術明けの聡太さんに冠せられた
どんな形容詞も空しく響いた、その響きさえ忘れてしまうような衝撃が待っていました。
入ってきた聡太さんは、ものすごく暗い顔をしていたのです。そして、第一声は
さらりと「そっとしておいて下さい」。冗談にしてもきつすぎるのですが、
彼のためにサッカーから遠ざかった展開となった(あ、平山さんがサッカー以外に
さして情熱を燃やさない人らしいのも大きいか…)トークにおいて、何を振られても
ひたすらサッカーへの渇望を訴え、自虐を繰り返す聡太さんに、私はただ泣くのをこらえ、
逃げ出したくなるのを抑えるだけになってしまいました。一つ一つを思い出すと
また画面が見えなくなってしまいそうなのでしませんが、外に出してもらえないから
チームの雰囲気は分からない、歩けるようになったばかりだからマイブームは歩くこと、
一番したいのはサッカー、筋トレぐらいしかしていない…枚挙にいとまがないんですが。

平山さんがトークを極度に苦手としているため、隣の聡太さんがフォローするという展開は
出席者が明らかになった時点で予想されていたことですが、俊太さん一人がかろうじて
営業になりうるテンション(現地では聡太さんに圧倒されていて全く気づけませんでしたが、
平山さんもサンガ戦でひびの入った肋骨を再び傷めた直後だったため、何度も
胸を押さえていたそうです)でした。細かいネタ、何も覚えてません。ぼんやりと、
先月はじめの、U-20トリオのトークショーはまだマシだった、なんて思ってました。

聡太さんがグチるのは、知ってたんです、知識としては。でも、私の知っている
中澤聡太は、いつも強気で、明るくて、大きな声を出している人だから、
そんな聡太さんを見たことのない私にとっては、とてつもないショックでした。

アジアユース前、重苦しい合宿で叫び続けた聡太さんに一目惚れしたのですが、
聡太さんは(たとえば角田さんのように)強いからああだったのではなく、
常に感情をストレートに表現するタイプだっただけなんです。TPOなんて関係なく。
私が聡太さんをますます好きになったのは、2年前のツーロンの頃、客観的には
正しくはないと、今となっては判断しうる「想い」、すなわち、戻ってくるかどうか
定かではなかったキャプテン羽田憲司の復帰を全面的に信じること…私ができなかったことを
やすやすとやってのけた、そんなところだったのです。つまり、素直な感情表現が。
だから、聡太さんが落ち込んだらどうなるかだって、容易に想像すべきだったんです。

消えてしまった笑顔の重みを痛感しながら(昨夏に会った時だって、ランニングしか
できてなかったら、笑ってはなかったよ…)打ちひしがれる私に届いたのは、ラスト、
サポーターへのメッセージを、と言われて、このまま終わるんじゃ悔しすぎるんで、の後に
飛び出してきた「末永く見守って下さい」という言葉でした。これが誤用かどうかは
置いておいて、自虐オンパレードの末のこの一言は、ここまで口にした全ての言葉が
やはり本音なのでは(聡太さんは自称ギャグ専だけど、昔から真顔で意味不明のことを
さらりと言うので、本気なのか冗談なのか区別がつかないんです)と思わせるものが
ありました。だって、この最後の一言だけ、すごい真剣な顔をしていたから。

チームが勝って盛りあがる中に入れない苦しみ、それを私はつくづくと感じています。
…長い長い時を経て、これだけが、私と彼の共有する感情だなんて。

3人のうち1人しかサインもらえないから、持ってない平山さんのところへ行こうとして、
でも、聡太さんの前にできた“空気”に逆らえなくて、声もかけたくて、行きました。
なんで私は羽田さんを待っていると口にしたんでしょう。いくらフロントへの敵意で
胸がいっぱいになって(この時はとても感情的かつ感傷的だったけど、落ち着いた今は
平山さんのコンディションを含めて、やはりフロントへの強い反発心を覚えます)
平静さを失っていたとはいえ、手術明けの、ついさっきステージで心細さを
“吐露”した人へ、他人の話をして、他人の復活に対して太鼓判を押してもらう
(羽田さんも帰ってきますよね、という言葉に、聡太さんは深く頷いたのでした)という
愚かな、愚かすぎる行為を取った自分が、恨めしくて。結論としては、ピアノで
過ごした時間は全て抹消したいと。だから、もらったものも全部引き出しへしまいこんで。
お弁当箱もストラップも。この後届く予定になっている記念写真も封を切らないでしょう。

BLUE LABEL、U-20のページ少ないのに(でも角田サマは素敵)買うのはもったいない、と
思っていたら、ライター浅田さんが五輪代表の歴史と称して、西村ジャパンの
プレイバックをしてくれたので、その写真があまりに切なくて、心苦しくて、
本屋の棚の前で、誇張でもなんでもなく、左手にそれを持ったまま固まってしまいました。

コノカリハゼッタイニカエス―あの時の願いは、もう抱くことすら恐ろしくて。

…本当は聡太さんが口にした言葉を、全て伝えたいと思うのです。そうしなければ、と
理性は私に言うのです。でも、それをしたら、私の心は壊れてしまうでしょう。
これでも、岡林さん・智仁さん以来、選手の帰りを待つのには慣れている私なのですが。

聡太さんは何度も質問の答えを探しました。いつもの彼なら、そんなことはしないでしょう。
何もできない身だから、何も答えられない、そんな透明の鎖がピアノにあったんです。

あのトークショー以来、私は、自分が声に出したりタイプしたりしている言葉が
本当に外へ出すべきものなのか、自信が持てずに、ずっとおろおろしています。
2年前、私は羽田さんの負傷に全てを見失い、少なくないものを傷つけました。
今、胸にうずく想いを本当に共有できる相手がこの世にいないのは、分かってるんです。
だから、ちょっとでもシェアしうる相手(つまり聡太さん)へ無理を強いて。

…昨夜、1日分書きあげねばと思いつつ眠気に屈しました。日曜の夜からそう、
口では起きてなきゃと思いつつ、本当は睡眠が記憶を攪拌してくれるのを望んでるんです。
あの時間をなかったことにするために。本当は経験は消せないのだけれど、
忘れることはできるから。私は…“私は”羽田さんや聡太さんから逃げることができるから。
でも、自分の人生からは逃げ出せません、誰もが。

ああ、何を書いているんでしょう。ただ、これでも、日ごとに聡太さんの言葉を
冗談抜きで忘れつつあるのは事実です。望んだ通りに。私は幸福なのか不幸なのか…。

もう、こんなの、嫌です。


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